法話の窓

058 阿吽(あうん)

 新学期が始まりクラスでも友達が出来て、クラブ活動も決まりましたか?休み明けまだきまってない人は何かを始めてみませんか?勉強で競い合う仲間だけでなく、趣味やスポーツを通じて困ったときに分かり合える仲間を作ることは、自分の心を一回り成長させるチャンスなのです。

 そんな和尚さんも子供の頃、続ける自信がなくて自分から打ち込んだスポーツは高校までありませんでした。「あ」これ楽しそうと思っても、やる前から、どうせ自分はと言い訳をして、また始めたとしても一寸した困難にやっぱ無理でしょと投げ出していました。自分なりに「うん」と納得するところまでしませんでした。自分なりに「ウン」やりきったと納得をすることの大切さを知ったのは大学の時なのです。阿吽の呼吸と言いますが、阿吽の世界を一つ知ると自分が一回り大きくなるものです。

 大学で入った少林寺拳法部は厳しいクラブだけれど何故か続いたのです。入部は怖い先輩に強制されたこともあるのですが、自分も変わりたい強くなりたいという思いがあったからです。ちょうどこの頃、ジャッキーチェンの映画や「少林寺」等のカンフーアクション映画がはやっていてそれに影響されたのもあります。

 スポーツ音痴の私でしたが厳しいけど思いやりのある先輩に助けられ、基本をみっちり仕込まれたのです。「あ」と大きな声を出し真剣に攻撃し、「うん」と躰に力をみなぎらせ攻撃を受ける事でした。早くする事ではなくて、一つ一つ基本に忠実にする事でした。

 一年程たった頃、京都府下大会があって私達も組演武の試合に出場したのです、私と相棒はチビデブコンビでした。体重差が30キロ以上あったと思います。派手な技を使い連続技でスピード感を出し、決めるところは豪快に投げ飛ばしたりするカッコいい組演武を私は構成したのですが、身体がついて行かない私達を見て先輩が「間(止まること)」を大切にする単発の技のシンプルな構成の演技に変えたのです。

 大会で他の大学の演技をみると、アクションスター張りの派手な演武が多いのです、そんな中なぜか地味な演武の私達が決勝ラウンドまで進みました。周りを見ると京大・立命館・同志社などの大学が残っており、格好良いスポーツ万能の選手ばかりに見えて気後れする私に先輩が「ほかの事など考えるな、いつも通りにしろ」と・・私達は気合いの声を出し、間を大切にした演武をしました。驚いたことに茶帯の部二位になったのです。

 後で監督が言いました。「君らの演武は派手さはないが減点できない演武だった。一つ一つの技が正確だった。ほかの大学は演武の構成はよいが、決まっていない技を隠すためにスピードでごまかしていた。あれでは茶番だと、おまえたちには見えないかもしれないが、見る人が見れば分かると・・・間接技を一つとってみても、ここからすぎると間接を壊すから、ぎりぎりの所で自ら投げられたり、自ら極められたりするんだ、技がかかってないのに落ちたら変だろう。投げたり間接を決めるのも阿吽の呼吸が一番大切なんだ。」形を合わすのではなく心を合わすことの大切さを教えられたのです。

 阿吽の世界「阿」とは物事の始まり「吽」は物事の終わりを意味します。自分で何かしたいものを「あ」これならばと入部して頑張り「うん」と納得するとき、外見以上に心が成長し自分の世界観が出来るのです。

山崎忠司

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