法話の窓

頑張れ

 謹んで西日本豪雨災害により被害をうけられた皆さまにお見舞い申し上げます。


 7月5日から西日本では雨が降り続いていました。私は5日から7日まで京都、妙心寺に兵庫教区の本山団参奉仕団として出かけていました。
 自坊の明石の寺を出る時から大きな雨が降っていました。午後からの本山での奉仕ですが、大雨のため、掃除ができずに、写経と法話の時間になりました。写経、法話中、各自の携帯電話に緊急避難情報メールが入り鳴り続けました。幸いにも避難場は私たちのいる花園会館でした。
 翌日も朝から雨の中、団参、仏殿掃除。豪雨のため7日は中止となり帰山することになりました。
 お昼をいただき、車で出発しました。いつもでしたら高速道路を使えば2時間たらずで自坊に帰れます。当然、高速道路は通行止め。一般道でも5、6時間で帰れると思いました。大々渋滞、神戸あたりから進みません。自坊に到着したのは翌日の夜中。なんと12時間かかりました。もし、そんなに時間がかかるならば、もう一泊したのにと後悔するばかりでした。でも、事故なく無事に到着したのでよかったです。

 さて、災害に遭うのがわかっていれば、避難場に逃げているのにと。でも、危険がわからないから大勢の方が犠牲になるのです。
 7年前の東日本大震災のおりに元妙心寺派管長、河野太通老大師が新聞のインタビューでこんなことを言っておられます。

  「頑張れ」と言われると、被災された人は腹立たしい気持ちになるでしょう。阪神淡路大震災の時の私がそうでした。
  その私が「頑張れ」と言っています。体験から十分わかった上で「頑張って」と言うよりほかありません。それはいのちに向けた祈りの言葉です。
  悲しい縁に出会って亡くなった人がいる。同じ悲しい縁に出会いながら生きている自分がいる。どうしてかと問われても、人間の知恵ではとうてい説明できないものです。
  今回の震災に遭わなかったとしても、人は誰でも老い、病になり、必ず死にます。仏教の説く「四苦」です。誤解しないでいただきたい。「だから人生は空しい」と悲観論をしゃべっているのではありません。いのちには限りがあるからこそ、いま生かされているいのちを精いっぱい生きなくてはいけません。それが「頑張る」ことですし、亡き人の縁をよいものにしていくことになるのです。

 老大師は『頑張れ』とはいのちに向けた祈りの言葉であると言われます。私たちは明日のこともわかりません。もし、災害に遭い避難情報を知ったならば、「自分は大丈夫だ、今まで一度もそんなことなかった」と思わずに逃げましょう。限りあるいのちです。精いっぱい生きようではありませんか。一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

小川太喜

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