典座ってなーに?
今から約40年前(こう書いている自分もびっくりするくらい時間が経ってしまいましたが)、私は妙心寺専門道場に入門していました。2年目の夏になり、道場の行事の流れが少しずつ分かるようになっていました。このころ、良い経験をしました。
8月になると雨安居(5月~7月の修行期間のこと)が終わり、束の間の制間(せいかん)となります。雨安居と雪安居(10月~2月の修業期間)の間を制間というのでしょう、道場においては少しホッとする時期です。
妙心寺専門道場では半年ごとに役目の交代があり、私は8月から典座(てんぞ)になりました。修行は大勢の若い僧が一緒に生活しながら行ないます。そこで交代でいろんな役を受け持ちます。たとえば隠侍(いんじ)は指導して下さる老師の身の回りの世話をします。殿司(でんす)はお経を読むときに必要な係、侍者寮は禅堂で坐る修行僧の世話役、といった具合に。永平寺の開山様である道元禅師は『典座教訓』という本を出され、典座がいかに大事な役目かということを述べておられます。典座、つまり台所で料理を作る人のことです。
家庭では家族の口に入る食事をお母さん(ときにお父さん)が作ってくれますね。テレビではいつも子供たちやお父さん(ときにお母さん)が、「おいしい!」とどんな場面でも笑顔いっぱいで食卓を囲んでいます。家庭には母の味というものがあって、いくつになってもそれがなつかしく思い出されます。
ところが、道場はそんなほのぼのとした環境ではありません。典座、それは戦場のような場所でした。
私の居たころ、道場には30人くらいの修行僧がともに寝起きしていました。典座は2人体制でこの修行僧たちの食事を作っていました。2人いますが毎日交代制です。一日おきに当番です。朝はお茶を沸かし、お粥(かゆ)をつくるだけなので慣れれば簡単です。昼は大量の具材を包丁できざんでみそ汁つくり、皆ご飯もみそ汁も3杯は食べるので大変でした。
2ヵ月くらいが過ぎ、10月になりました。典座に少しは慣れたころ、大きな茄子をたくさん信者さんからもらい、だるま煮を作ることになりました。茄子のヘタを取り、丸ごと油でいためて火が通れば醤油をかけて蒸す。すり生姜をかけて食べるという、きわめてシンプルでおいしいおかずなのですが、いまいち自信が無かったのです。そこで先輩に聞きました。
「茄子のだるま煮はどうやって作ったらいいんですか?」
「お前、食べたこと無いの?」
「ありますが…」
「じゃあわかるだろう」
さあ大変、30人×2本の茄子=60本の茄子を大鍋に放り込んで、大汗をかきかきだるま煮を作りました。食事の時間には間に合わなかったものの、これは良い経験になりました。
それからはひとつひとつの料理のレシピを作り、いつでも困らないように気をつけました。これも先輩が突き放してくれたおかげなのです。料理に心を込めるというのは、段取りから何から自分で考え自分で経験していくその先にあると思います。先輩に感謝です。
柳楽一学