好きと嫌いと
ご本山からの命で布教の旅に出ました。32日間という1ヶ月を超える長丁場でした。
初日のお寺で、昼食を頂いている時、奥さんに
「何がお好きですか」。
と尋ねられました。咄嗟のことでまごつきましたが、お皿の上にカツオのお刺身が載っているのを見て、
「カツオが好きです」。
と答えました。奥さんは
「それは良かったですね」。
と言い、話はそれで途切れました。
次の日、別のお寺に参りましたが、昼にカツオのお刺身が出ました。今日もカツオが食べられると思い嬉しくなりました。
3日目も4日目もカツオのお刺身がつきました。さすがにこの辺で考えるようになりました。お寺の奥さんの連絡網があって、前のお寺に次のお寺の奥さんが、
「何をお出ししたら喜ぶんでしょうか」
と情報を教えてもらっているのではないかと。
それからも、5日目も6日目もお昼にカツオのお刺身が出ました。なんと最後の日まで出たのです。だんだん見るのも嫌になりました。最後は苦行のように、やっと飲み込みました。
自分のお寺に戻ってしばらくは、カツオを含めお刺身には箸が伸びませんでした。
カツオのお刺身が脳裏から少し薄らいだ頃『臨済録』を読んでいて、次の一節に出会いました。
「嫌う底の法勿(な)し」
好きだと一つのもの、一人の人にこだわると、それが苦しみの原因になるのでは……。どんなものでも好き嫌いしなければ、そのままみんな好きになるーー 360度好しとなります。
それ以来、私の杖ことばのひとつが
「嫌う底の法勿し」
です。食べ物だけでなく、苦手な人と会う時も「嫌う底の法勿し」です。
新野建臣