【曲肱】魚 龍と化す(2008/05)
風吹けば来るや隣のこいのぼり 虚子
こんな風景を目にするころとなりました。
風に吹かれた隣の鯉のぼりが我が家の方にやって来るというものです。今は、住宅の事情や立地の条件で鯉のぼりをたてることも易しくないかもしれません。
この鯉のぼりの前身は、武者や鯉の絵を描いたのぼりで、五月のぼりと言ったものだったのが、江戸時代以降、鯉の形状をしたのぼりが作られるようになったようです。
大空を風をいっぱいはらんで泳ぎ回る姿は圧巻です。本々、水の中にいる鯉が空高く泳ぐことに不思議さも感じず、ただその大きさや勇壮さに魅入られたものでした。私たちの地域では、生活改善ということで、各戸の鯉のぼりはたてないという申し合わせがあるのです。
嫁いで来て男児を出産すると在所の親は鯉のぼりを祝うという風習があり、現在とは違って、破格の鯉のぼりを祝うのはたいへんな負担になることから、こうした形で取りやめになったということなのです。今では各集落の広場や、小学校に鯉のぼりが上げられ、子供たちの成長を願っています。
確かに、大正二年五月『尋常小学唱歌』五年生用の教科書に用いられた『鯉のぼり』(作詞、作曲者不詳)の三番に「百瀬の滝を登りなばたちまち竜になりぬべき わが身に似よや男子と......」と、男子に限定していますが、鯉が龍となるように難関を越えて、立身出世することを願ってのものであることがよく分かります。
しかしながら、この歌の典拠となっているのは、禹門三級の故事によるものでしょう。夏王朝の禹は、黄河の氾濫を防ぐために、上流の龍門山に三段の滝を造ったと言います。
この三段の滝を登り切った鯉は、天に昇って龍と化すという言い伝えがあるのです。
碧巖録の中に、三級浪高魚化龍(三級浪高くして魚龍と化す)とあります。つまり、大空を泳ぐ鯉は、三級の滝を登り切って、龍と化した鯉魚の姿なのです。この鯉魚の雌雄は触れていませんから男児に限らず、誰もが、菩提心を発して、其の本を務めることにより、仏とならんことを願っての鯉のぼりであるという解釈もおもしろくないでしょうか。
林 学道