【曲肱】同事(2008/07)
お正月行事に始まり、節分やひな祭り、端午の節句等、以前は、あらゆる年中行事が各家庭において行われていたように思います。 因みにお正月の元旦には、上間の間で家族揃って梅湯をいただくのが習わしです。同様に、私たちの子供のころには七夕祭りが、どの家ででも行われていました。住んでいるところが、都市部と違って、山の中ですから何時でも竹笹が手に入り、飾りを作ることはやさしいことではありますが、父と一緒にかなり大きめの竹を切り、縁側にくっつけるようにして飾りと棚を作っていたように思います。棚には、ホオズキやキュウリ、トマトなどを供え、なぜか生きた魚までも供えていました。
竹笹には五色の短冊をこよりで取り付けその短冊には、家族揃って各々好きな願いを書き込んでいました。親は親の立場で子供たちが健康にすくすく育つようにとか、わたしたちのようにあれが欲しいこれが欲しいというものではありませんでしたが、こうしたことから両親の気持ちが分かったように感じたものでした。また父や母はこの私たち子供の短冊を参考にして、クリスマスのプレゼントを買っていたように思います。何気ない行事が家族間の意思の疎通を図っていたのかもしれません。 行事はともかく、こうした自然に家族で一緒に同じ事をするという大切な時間が持てたことが素晴らしいことだったと思うのです。 少子化が進み、家族が顔を合わす時間の少ない現代社会の中ではあるのですが、思いやりの心であるとか、優しい言葉であるとか、人が喜んでくれるような行いをするとか、みんなで同じ事をするといった、人として一番大切なことを学ぶ場所は家庭や家族の中からというのがまず基本ではないかと思うのです。 「もちもちの木」という斉藤隆介さんのお話の中で、爺さんと二人っきりで住んでいるよわむしの豆太という少年が、おじいさんが夜中に腹痛で苦しんでいるときに一人でお医者様を呼びにふもとの村まで駈け出していきます。本当は寒くて、怖くてとても行けないのですが、大好きな爺さんが死ぬことの方がもっと怖かったのです。次の朝、元気になった爺さんが、豆太に言います。「自分で自分を弱虫だなんて思うな。にんげん、やさしささえあれば、やらなきゃならねえことは、キッとやるもんだ」と。 お爺さんは、やさしさが勇気に変わることを教えてくれます。このやさしさというのはみんなで辛いことも、苦しいことも同じ事をしてきたところから生まれてきているのです。思いやりの心というのも同じでしょう。 今、個々がそれぞれの心で動くことが多いようですが、たまには、一緒に揃ってお茶でも飲むことがあってもいいように思うのです。
林 学道