【曲肱】肘を曲げて枕にする(2008/08)
樹木の木陰が心地よく感じるころとなりました。緑樹陰濃夏日長(りょくじゅかげこまやかにしてかじつながし)とありますように、葉も茂り濃まやかさを増した木々の間を縫って吹いてくる風はなんとも言えないものがあります。
涼しさを感じるのは肌だけではありません。眼や耳や鼻など身体を通して感じるものでもあるからです。
最近でこそクーラーの有り難さが分かったのですが、それまでは全く必要を感じない生活が送れていました。昔ながらの家屋には馴染まないということもありますが、実際に必要なかったのです。贅沢だと言われるかもしれませんが、朝顔の花の鉢植えや、庭の木々の緑に囲まれた上、周囲の田の水面を吹きわたって来る風がある夜などは寒いくらいでした。
また昼間であっても襖や障子を取り払い、簾を吊った建物の中には、軒先の南部鉄製の風鈴の音を鳴らしながら風がさっと走り抜けます。日照りの強い日などは陽が落ちるころ、あまり水を庭に撒いておきますと夜には土の香りを含んだ涼風が入って来たものです。考えてみれば、木々の緑や朝顔の花に、簾に、風鈴の音や土の香りに涼しさが醸し出されていることがよくわかります。
この欄のタイトルを『曲肱』としました。曲肱(きょっこう)というのは、曲肱之楽(きょっこうのたのしみ)、清貧に安んじて道を行い楽しむこと、とありますように華美に走らず簡素な生活の中で楽しんで生きるということです。
『論語』述而編の「飯疏食飲水曲肱而枕之楽亦在其中」(そしをくらい、みずをのみ、ひじをまげてこれをまくらにするも、たのしみまたそのうちにあり)というのが典拠です。貧しくて枕がなく肱を曲げて枕にすることとあります。
夏の盛りの午睡の時間というのは、厳しい暑さや日差しのあたる時間帯は屋外に出ると体を衰弱するのでよくないというのと無駄なエネルギーを消費しないために考えられたものでしょう。住宅事情もあり、また寒暑の厳しい地方などそれぞれ違いがありますから何とも言えないのですが、日陰の部屋の窓を開けて、ゴロッと横になり、肱を曲げて枕にし、蝉の鳴き声とともに入ってくる一陣の涼風に真夏を体感するというのは、今では至上の贅沢ではないでしょうか。
私たちは毎日、忙しい日もあり、またあらゆる出来事に心が安まる時がないかもしれませんが、人生の夏日は長いと肱を曲げて枕にし、思惟に耽る姿を想像しますと涅槃にお入りになるお釈迦様のお姿に通じるものがあるようにも思えるのです。
林 学道