【曲肱】二入四行(にしゅうしぎょう)(2008/10)
パソコンを扱ってみようと購入し、思い切って教室にも通い、同じ事なら徹底的に教えてもらうことにしました。周囲の人たちの中には時間が取れないからという理由もあるのですが、自分で本を見れば何とかなるので教室に通ってまでしなくてもという方が多いのには驚きました。
ある人はそれが一番だと賛同してくれました。ご自分もやっているけれど最初が肝心で俺流にも限度があり、何年経っても同じことを繰り返しているとのことでした。 今、あらゆる機器が出回っていますが、もちろん、どの機器にしても教室に通わなければ扱えないというものはなく、説明書を読めば何とかなるものばかりかもしれません。 例えば、携帯電話にしてもそうなのですが、最初のうちはついている機能のどのくらいを自分で使えているのかさえも分からないくらいです。 子供たちは、手にした時から、説明書に目を通すわけでもなくあちこちを触り、ひやひやしながら覗いているのをしり目に次々と機能を使い切っていきます。世代の違いなのか能力の違いなのか、おそらく器械慣れなのだろうということにしていますが。 つまり、徹底的に説明書にも目を通し、さらに合点のいかないところを先生について学ぶということによって自分の物にするということ。また、あらゆることにおいても体験することによって扱えるようになるということ。是非はともかくこうした理論や目的を順序立て享受する方法(理)、または、体験を積み重ねて試行錯誤を繰り返しながら体得していく(行)というどちらかの方法で機器を扱っているのが現状でしょう。理も行もどちらも大切なことです。私は、私なりに次のようなことを念頭において機器に向かっています。 1、今の時代にあっては、否が応でもこうした機器の末端に組みされていかなければならなくなりつつあると忍受していく。 2、あらゆる物事に際して、こうした機器にも触れていかなければならない自他の縁というものを感じていくこと。 3、機器が扱えることで人より先んじて便利さを喜ぶのでなく、ただ周囲の動きに合わせることで十分であるとする。 4、最後にОA機器というのはあくまで機器であり、最終的には人間が記入したもの以外に何もない物であることを認識する。 理(理論や教え)より入る理入、行(実践や体験)より入る行入、そしてその行も四つの行からなるところの二入四行を説かれた達磨大師の祥月命日、達磨忌は十月五日です。
林 学道