法話の窓

【曲肱】春待ち月(2008/12)

 早いもので今年も今月限りとなりました。カレンダーに記した行事が舷に刻んだ目印のように思えます。師走の語源というのはいろいろあるようです。

 字の如く師も走るという慌しさをいったものが主のようですが、そういえば確かに12月には、成道会をはじめとして報恩講、臘八大摂心、さらには、仏名会などの行事があったようです。中でもこの仏名会というのは『仏名経』を誦し、三世三千の諸仏に懺悔をするという行で、この月あちこちの寺院でおこなわれ、僧が走るように動き回る姿が見られたといわれています。また、古来よりこの月を四極月(しはつづき)ともいい、四季がはつる月としての四極月がしはす月となったとされる説もあるようです。

 

 私たちにとりましては、ご開山、関山無相大師様のご遷化された月であり、平成21年には650年の遠諱法要が厳修されます。
延文五年12月12日、「急に束装頂笠し杖を携へ旅装して、花園風水泉頭、大樹下に立ち、授翁に對ひ、『我れ今行脚し去らん云々』と告げ、泊然として起立入寂す。恰も普化の立亡と同似せり。壽八四」と旅装束のお姿でお立ちになったままでご遷化されたことが記されています。また傍らの授翁宗弼禅師(妙心寺2世)に戒めをお示しになり、授翁禅師によって遺されたものが『無相大師遺誡』とも記されています。そのご遺誡の中に「汝ら請う其の本を務めよ」とご開山様のみ心が今に伝えられています。
あらゆる人や物によって生かされている自分であることに気付き、一人一人が互いの生命を、生活を大切にし、全ての物ごとに感謝のできる自分であるように努力精進を惜しむことなく行うということです。
地球単位の環境破壊を初めとして、どの国を取り上げてみてもそれぞれが抱えている諸問題。私たちの近辺も例外ではありません。毎日のように取りざたされる事件の数々に人心の荒廃をも危惧せざるをえないような寒い世の中に感じます。だからこそ、今、一人一人が「其の本を務めよ」というお言葉を箴言として自らが進んで行じなければならない時ではないかと思うのです。
12月を春待ち月ともいいますが、この呼び名には温かさが感じられます。古来より四季が循環し一年が極まり、冬から春へと遷りゆく喜びは、暗く寒く冷たい玄冬がつきつまり、一陽来福という言葉どおりに、一夜が明けるのとともに春が迎えられたということにあったと思うのです。

林 学道

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