法話の窓

【好日】私の降誕会(2009/04)

 私事ですが四月は私の誕生月です。私は寺で生まれ育ちました。四人兄弟の末っ子で上三人は女ばかり、最後にできた子どもです。最初に兄である長男が生まれたのですが早産で生まれて一週間で亡くなりました。その後三人の姉が生まれ、四十歳をこえてから母は私を宿しました。そのとき産もうかどうか真剣に悩んだようです。誰もが男の子を望んでいたと思いますが、現代のように男女の産み分けのできる時代ではなく、そのうえに高齢出産です。丈夫な身体でない母は中絶もすすめられたようです。

 

 そんな状況の中、母の妹で当時、戦争で一人身になり中学校の教師をしていた叔母が「せっかく宿した子じゃないの産みなさいよ。もし女の子だったら私が引き取って育てるから」と言ってくれたそうです。あの一言があったから産む決心がついたと......。しかし、決心してからも不安な日々だったようで、毎朝、本堂に行き仏飯を供えながら本尊の観音さまに無事に子どもが生まれるようにお祈りしたそうです。そのときのことを現在、九十歳になる母は半世紀近い前のことなのに昨日のことのように語ってくれます。
さて、四月八日はお釈迦さまの誕生日、降誕会です。各地のお寺では花御堂を飾り誕生仏に甘茶をかけてお祝いします。

『法句経』に、
ひとの生をうくるはかたく
やがて死すべきものの
いま生命あるはありがたし

とありますが、兄の死、叔母の助言、母の祈り、様々な縁が重なって、いま、ここに生かされて在る私です。いま一度、他の誰でもない自分が自分として生まれた不思議に思いを馳せ、自身の誕生について深く感謝する日にしたいものです。
 ところで数年前、地元の資料館の特別展に本尊の聖観音像を出展することになり、文化財保護審議会の調査団に見ていただきました。すると聖観音像ではなく、何と出家前のお釈迦さまの姿を模した宝冠釈迦如来像であることが判明しました。母は観音さまと思って一心に祈っていたのに......。そのことを母に話すと「観音さまでも、お釈迦さまでもどちらでもいいじゃない、信じるものは救われる」と、一本取られました。

栗原 正雄

ページの先頭へ