法話の窓

【好日】其の本を務めよ(2009/12)

 釈尊が悟りを開かれた仏教の聖地、インドのブッダガヤへ参拝したときのことです。現地に足を運ぶことによって本や情報だけでは得られない等身大の感動を頂き、釈尊の大悟された菩提樹下で組んだ坐禅はその後、私の宝になりました。十二月八日、成道の日が近づくとそのときの感動がよみがえり気持ちも引き締まります。

 

 ところで、仏蹟巡拝旅行に限らず旅の楽しみの一つが、その場所の思い出となる買物です。欲しいと思ったものがあり交渉に入ったのですが、「あなたはいくらで買うのか?」と問われ返答できませんでした。いままでは品物に定価がついており、その値段をいかに値引きさせるかと交渉していたのに、「いくら払ってなら品物を欲しいのか?」と逆に問われ困惑したのです。そしてその店員の一言が、私に果たして本当に欲しいものなのだろうかと自問自答をさせてくれました。物欲だけでなく欲望というのは際限がありません。まして欲しいと思ったら何としても手に入れたくなるのが私たちです。しかし、本当に欲しいもの、自分にとって必要なものなのでしょうか。ともすると溢れる情報や周囲に振りまわされて不必要なものまで求めているのではないでしょうか。そんなことを考えさせられた出来事でした。

 十二月十二日は、妙心寺の開山無相大師のご命日です。開山さまは、八十四歳で遷化されていますが、行脚の旅装にて風水泉という井戸のほとり、老樹の下で立ったまま亡くなられたと伝えられています。そのとき弟子の授翁宗弼禅師に残された言葉『遺誡』のなかで「請う、其の本を務めよ」と説かれましたが、その本とは何でしょうか。それは人間としての基本、仏心に目覚めよということです。しっかりと足元を見つめて自身のうちにある清浄なる心に戻ることです。

 今年も残り少なくなりましたが、一年を省みてどうですか、あまりにも沢山のものを抱えすぎていませんか?。本当に大事なものは何かをしっかり考え、物心ともにシンプルになって来る年を迎えたいですね。

栗原 正雄

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