【好日】日々ありがとう(2010/03)
『万葉集』に大伴家持の歌で
うらうらに 照れる春日に ひばりあがり
こころかなしも ひとりしおもへば
という有名な秀歌があります。青い空に白い雲、緑の野原に雲雀が空高く元気に飛び上がっていく春ののどかな風景が目に浮かびます。しかし、こころが弾むような春日よりなのに、なぜ「こころかなし」なのだろうか?「こころうれし」ではないのかと学生のころは疑問に思いました。
その後、万葉時代の「かなし」は現代の「悲しい」とは意味が違い、天地万物のさまざまな存在感が身にしみてくるような感覚のことで、「いとし」という言葉にも通じると知りました。家持は、目前の春がすぐに夏になり秋、冬へと変わるように、春の風景がのどかであればあるほど、人生もあっという間に過ぎていくと感じられ、いま在ることが愛おしく思えたのではないでしょうか。
「日々是好日」という言葉があります。中国唐代末期の禅僧、雲門和尚の有名な語です。晴れの日と雨の日、楽しい日と辛い日......人生はいろいろでありますが、この好日とは、雨の日に晴れた日のことを想い、毎日が好い日と受け取るということではありません。本当の好日というのは、善い日、悪い日と比べるのではなく、たとえ今が辛いときであっても、その逆境を苦しみながら、好ましい日には得られない価値と意味を見つけること、生きる喜びを得られるよう日々を悔いなく過ごすことです。
さて、昨年の四月号から、本誌の巻頭に拙い文を綴ってきましたが恥ずかしいかぎりです。たった九百字、されど九百字で悪戦苦闘の日々でした。しかし、三月号までという終わりがあるからこそ書けたと思いますし、人生も然りです。「散ればこそ いとど桜の めでたけれ」という句があります。散ればこそ花が美しいと感じるのです。人生も別れがあるからこそ、いま、ここに、生きていることが何とすばらしいことなのか、と気づきます。
一年間、お付き合い頂き、本当に日々ありがとうございました。
*栗原正雄師の「好日」は、今月で最終回となりました。
栗原正雄