法話の窓

【随縁】母を憶う(2010/05)

 母という字を書いてごらんなさい
      サトウハチロー


  母という字を書いてごらんなさい
  やさしいように見えて むずかしい字です
  恰好のとれない字です
  やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
  泣きくずれたり...... 笑ってしまったり
  お母さんにはないしょですが ほんとうです

 


もうすぐ「母の日」です。私の生母は、私の誕生後、数時間で亡くなりました。その日から、伯母(母の姉)が私を育ててくれることになりました。伯母五十五歳のときです。孫みたいなものですね。
中学二年の時、養子縁組で養母となりました。気恥ずかしい年ごろです。それまで「おばちゃん」と呼んでいたのを「お母さん」とは呼べません。かといって、今さら「おばちゃん」とも呼べません。
「ちょっと」で済ますことになりました。
手紙を書くようになって「母上様」と書きました。とうとう、亡くなる(八十八歳)まで「お母さん」とは呼べませんでした。
『父母恩重経』のなかに、
「計るに、人々母の乳を飲むこと、一百八十斛となす。父母の恩重きこと天の極まり無きが如し」とありました。
百八十斛(石)はオーバーですが、敦煌から出土した経典(敦煌本)には八斛四斗となっています。実際に近い量だといわれます。即ち約千五百リットル、ドラム缶七本半程になります。
養母は、そのお乳をもらい乳をするか、豆乳で賄ったことになります。今のように、ミルクや牛乳の無い時代です。私を懐に抱いて、赤ちゃんを育てている家々を回ったということです。ご苦労のほどが偲ばれ、養母の慈恩に、感謝の憶い一入です。
この経文に出会って、どうして「お母さん」と呼んで上げることが出来なかったのかと、親不孝な自分を恥じ入ったことでした。
妻の母には、素直に「お母さん」と呼べました。不思議ですね。


 慈母の乳一百八十石とかや 愛しきことば世に残りけり
                         吉野秀雄

微笑義教

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