法話の窓

【法悦】花園法皇さま 報恩謝徳 興隆仏法(2011/11)

 十一月十一日は、ご本山妙心寺・開基 花園法皇さまのご命日"法皇忌(ほうおうき)"であります。
 花園法皇さま御存命の時代は、鎌倉幕府の滅亡から建武の新政、続く南北朝の対立と、動乱の時代でした。
 法皇さまは御歳十二歳でご即位され、二十二歳で後醍醐(ごだいご)天皇に譲位され上皇になられました。三十九歳の時 落飾(らくしょく=出家)され、それより後、花園法皇さまと申し上げます。
 法皇さまは、幼少より深く仏法に帰依せられ、時の善知識について問法されました。退位後二十四歳の時、禅傑妙曉(みょうぎょう)上人によって禅の原理に開眼され『仏法の高砂 心地の極理 只禅門の一宗にあり、余の大小乗の宗義すべて及ぶべからざるものなり』の結実を得られました。
 その後の法皇さまは"火の中もわけても法は聞くべきに 雨風雪はもののかずかは"の不惜身命(ふしゃくしんみょう)のひとすじの求道生活に入られ、妙曉上人入元の後、洛北大徳寺の開山大燈国師について参禅弁道(さんぜんべんどう)し、三十九歳の時、立派にお悟りを開かれました。


   さ夜ふくる窓の燈火つくつくと
          影も静けし 我もしずけし


 の大安心(だいあんじん)を得られ、禅の悟道(ごどう)を体得されました。
 法皇さまは常に動乱混迷の世相を深く憂慮され、真実仏法による平和な太平の世を切願されました。
 そして生涯の志願でありました仏道得道の報恩の証として、洛西の離宮を禅寺とされ、大燈国師の命名により"正法山 妙心寺"とし、関山慧玄(かんざんえげん)禅師を開山に拜請されました。
 ご本山妙心寺の開創であります。

 法皇さまは、妙心寺開創の心を、関山慧玄禅師に贈られました往年の御宸翰(ごしんかん)に『報恩謝徳の思 興隆仏法の志』と宣言しておられます。
 御親翰の翌年、貞和四年十一月十一日、法皇さまは五十二歳の生涯をもって崩御(ほうぎょ)されました。
 法皇さまが遺(のこ)されました『報恩謝徳の思、興隆仏法の志』は、妙心寺の心として花園会員の信心の灯となっております。

尾関義昭

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