【法悦】開山忌『汝等請う其の本を務めよ』(2011/12)
十二月十二日は、ご本山妙心寺の開山・関山慧玄(かんざんえげん)禅師さまの御命日、開山忌であります。
関山慧玄禅師さまは、鎌倉時代後期、今の長野県高井郡、中野城の誉れ高き武門に呱々(ここ)の声を上げられました。
幼少より仏門に帰依し、鎌倉の建長寺にて得度・参禅されました。
後、京都洛北・大徳寺の開山・大燈国師(だいとうこくし)について修行、禅関の奥義を極め、五十二才の時、お悟りの証明(印可/いんか)と関山慧玄の道号を授かりました。その後、ご開山さまは美濃(岐阜)の伊深(いぶか)の里に身を隠し、里人と一緒になって牛を追い、田畑を耕して悟後(ごご)の修行に励まれました。
暦応元年の春、甘露寺朝臣藤長(かんろじあそんふじなが)は、開創された妙心寺開山の勅誦(ちょくしょう)をもって開山さまの小庵をおとずれました。開山さまは固く辞退されましたが、師大燈国師の遺命(いめい)と聞き意を決して上洛、妙心寺の第一世開山禅師となられました。当時の妙心寺は、花園法皇さまの旧御所と云っても極めて質素で小規模な禅院でした。この小院こそ開山さまの真の人間教育の禅の道場にふさわしいものでした。
この禅院で、開山さまが嗣法(しほう)の二祖微妙大師(みみょうだいし)をはじめ、求道者(ぐどうしゃ)に与えられました禅の第一義の問題(公案/こうあん)は『本有圓成仏 何故為迷倒衆生』"人間は生まれながらにして尊い仏性を具有しているのにどうして凡夫となって迷うのか"の公案でした。
時は南北朝の対立動乱、人間不信の混迷の時代。開山さまは時勢に流されることなく、人間性の尊厳を説き、真実なる人間性(仏性)に目覚めることが人間の救済、完成の道であることを宣揚(せんよう)し、教示されたのであります。
開山さまはこれを更に御遺誡(ごゆいかい)に『汝等請う其の本を務めよ 誤って葉を摘み枝を尋ぬること莫くんばよし』と誡(いまし)めておられます。
延文元(1360)年、雪の降る十二月十二日、開山さまは行脚の旅姿で風水泉(ふうすいせん)のほとり、二祖御妙大師に後事を託して立亡(りゅうぼう)されたまま旅路につかれました。御遺体は修行僧によってご本山の東北の地に埋葬されました。現在の開山堂微笑庵(かいさんどうみしょうあん)の地であります。
開山さまのご遺誡の『汝等請う其の本を務めよ』は妙心寺の伝法の燈であります。
尾関義昭