法話の窓

【一滴水】薫風のごとく(2012/06)

 旅をしていますと、いろいろな出会いがあり、そうした思い出はいつまでも心に残っているものです。
 ある駅のホームで列車を待っていたところ、法事の帰りであろうか少々赤ら顔の礼服の男性が突然声をかけてきました。
 「和尚!今日は葬式でもあったのかな?」
 「いや、そうではありません」
 「そうか......」
 法衣(ころも)を着ていると、即お葬式に結びつけられてしまう習慣に抵抗もあって、少々不愉快さを感じましたが、到着した特急列車に乗り、先方よりいただいたキップで指定の席を捜したところ、すでに先客が座っておられるではありませんか。
 「あれ?自分が席番を間違えたのかな」と、指定券を確かめてみたら、なんと!席番は正確であったが、指定日が昨日の日付ではないか......。
 通りかかった車掌さんに訳を話し、当日券をお願いしたが、おりしも連休中とあって列車は満席とのこと、あきらめて立っていたところ、見知らぬ男性が近づき、耳元でこっそりと云わく、
 「和尚、俺の席が空いているから座ってくれ!」
 「いや、結構です。一時間少々のことですから」
 「遠慮するな、俺は別の車両に連れの者がいて、そっちに用事があるから......」と言って、去って行ってしまいました。
 どうやら、事の成り行きを察知して、自分の席を譲って下さったようです。
 初夏に若葉の香りを運ぶ風のごとく、実にさわやかな一瞬の出来ごとでした。
 「ほどこし」の心が、こんなにさわやかなものであったのかと、更(あらた)めて感じたと同時に、あの駅で声をかけてきた男性も、ひょっとしたら、『和尚』を身近に感じて、親しげに声をかけてきたのかなと考えなおし、胸が熱くなる思いで目的地に無事到着できたことを、今でも感謝しています。
 

田尻和光

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