法話の窓

【一滴水】かけがえのない いのちの尊さ(2012/12)

 先日、『少年の主張を聞く会』で子どもたちの純粋な意見を聞くことができました。
 その中で、中学三年の女の子が『かけがえのないいのちの大切さ』と題して、亡き祖父との思い出を涙ながらに語ってくれました。
 「三日前、病状が急変したおじいちゃんの病室へ入ったとたん、無意識のうちに手を差しのべてきたので、私も思わずグッと握りしめ、人の死がこんなにも悲しいものか......と、涙が止まりませんでした。
 これまでも、病室にいるとおじいちゃんは、いつも私たちに勇気を与えてくれた。その時"私たちは家族なんだ"と強く感じたのです。そして、かけがえのない命の大切さをはじめて知りました」
 私たちはともすると、楽しく生きることのみを追い求め、死はできることならば逃れたいとする思いが、誰しも心の奥底にあるものですが、生と死は決して別ものではなく、常に表裏一体であることを忘れることはできません。そして、家族との永久(とわ)の別れほど悲しいものはありませんが、かけがえのない人生の終焉(しゅうえん)のドラマでもあります。
 それは、死を常に我がものとして受けとめることによって、生かされていることへの感謝と喜びが、実感として湧き上がってくるものですし、自ずと自分の生き方が見えてくるのではないでしょうか。
 お釈迦さまは生老病死という大難問を明らめるために、秘かに出家をされ、難行苦行を続けられ、これぞ最後と意を決して坐禅を組まれ、十二月八日の曉(あけ)の明星を見て忽然としてお悟りを開かれ、仏陀(ぶっだ)となられました。
 仏陀とは"目覚めたる者"という意味で、このお悟りを「成道(じょうどう)」といいますが、道を成しとげること、つまり「智慧(ちえ)」に目ざめることにより、本当の安らぎを得ることです。
 私たちは生老病死から逃れることはできませんが、かけがえのない"本物のいのち"をしっかりと見つめ、大切にしましょう。

 

田尻和光

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