法話の窓

【清泉】鬼仏庵主(ものの尊さ)(2013/06)

 三十五年以上も前のことです。私は、中学入学以来三年間、毎週土曜日の午後、自転車で茶道の先生の元へ通いました。丸二年ほど経ったころ、お手前の最中に不注意で棗(なつめ)を転がし、畳一面にお茶をふりまいてしまったことがありました。

 「勘違いをしないように聞いて下さい。銭(ぜに)かねのことを言うわけではありません。今、あなたが使っているお茶碗はもとより、水屋にあるお茶碗もみんなお金を出して求めると、五万円を下るものはありません。なぜ、そんなに高いか分かりますか。心を込めて作って下さった人、割れ物を五十年、百年あるいはそれ以上の間、何人もの人が大切に使い、壊さないで遺(のこ)し、伝えて下さったからです。そのことを忘れないで大切に使って下さい。」
 静かにお諭しをいただきました。

 先生は村中でも一二を争う裕福な家に生を承けました。しかし、四十歳になるまで放蕩三昧を尽くし、ついにはほとんど財産を失い、奥様は自らその命を断つに到りました。
 以来、その懺悔と追善に一念発起して茶道の道に志を立て、六十を過ぎた頃には近隣市町村にも名だたる茶人になっておられました。新弟子を取らない筈の先生が、直々にご指導下さったのは、外でもない、私が寺を継ぐと思って下さったからでした。ですから、三年間ひたすら平手前しか習うことがありませんでした。
 今でも先生の面影と、鬼となって茶禅一如を極めてゆかれた、先生の茶室に掲げられていた『鬼仏庵』の額が、まぶたに浮かんでまいります。

   〜月刊誌「花園」より

小田実全 (おだ じつぜん)

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