法話の窓

【清泉】平和への願い(2013/08)

 昭和二十年六月、私の母方の叔父は二十三歳でこの世を去っています。
 彼はこの年、横専(現横浜国立大学)工業経営科を繰り上げ卒業し就職も決まり、海軍航空隊に入隊しましたが、一度も戦闘機に搭乗することなく防空壕の中で戦死を遂げています。
 母親と二人の姉を残してこの世を去る覚悟は、並大抵のものではなかったとその心中を思う時、思わず知らず込み上げてくるものがあります。家は絶え、永代供養に合祀してお護りしてあります。
 皆さんにおかれましても、ご血縁の中に戦争の犠牲になられた人がいないご家庭はないのではないでしょうか。よしんば、命を永らえることはできても心の傷は永遠に消えることはないでしょう。
 たった一人の命を奪っても殺人罪が問われるこの世の中で、多くの人の命を奪って勲章を頂くような愚かな過ちを、二度と繰り返さないと誓ったのはどこのどなただったのでしょう。
 ましてや、仏教徒は一匹の虫の命も、一本の草花にさえも限りない情愛をもって、あだやおろそかにしないと誓ったのではないでしょうか。
 戦後の生まれの私でさえ、充分にその戦争の悲惨さを味わってまいりました。戦前・戦中・戦後を生き抜いてこられた方々には、いかばかりでありましょう。
 どうかお願いでございます。皆さんが味わってこられた苦しみを、子々孫々に至るまで二度と味あわせたくないと思って下さるのならば、今、何をなすべきかを自らに問うて頂きたいものです。
 たった一人の願いは小さくても、その願いを持つ人が多くなるとき、必ずや大きなうねりとなっていくと信じて疑いません。
 お盆のお参りの最中、毎年、戦争の絶える日を願わずにはおられません。
    〜月刊誌「花園」より

小田実全(おだ じつぜん)

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