【清泉】みそ汁の具 〈随所に主と作る〉(2014/01)
故人は、息子さんが六十歳を過ぎたころ、次のように戒められたそうです。
「おい、お前はどうしてそんなに肩肘を張って生きるんだ。わしはなあ、みそ汁の具になっても構わんと思っているが、みそ汁の具の中でも麸になろうと心掛けて生きて来た」
「麸はなあ。箸で押しやられてもまた元のように戻ってきよる。押さえつけても必ず浮き上がってくるじゃないか」と。
二十六歳の若さで満鉄の専務になった故人は、終戦に至るまで栄華を極めておられたようです。しかし、敗戦によりその生活は一変してしまい、やっとのことで両親のところまでたどり着いた時には、かつてたくさん有していた田畑は農地解放によって接収され、全てが失われていたそうです。
こんなことでしたので、戦後は大変苦労をされ、その暮し向きは並大抵ではなかったことが推し量られます。
やがて、息子さんのところへ同居なさってからも、八十八歳のご高齢にもかかわらず、八十歳を過ぎた妹さんを伴って自らの運転で九州一周の旅をされるほどお元気な方でした。
九十四歳で、僅か一夜の患いで大往生を遂げられたご老人。そのお通夜とご葬儀は、大みそかを目前に控えていることもあって、二人の息子さんとそのご家族のみで簡素に営まれました。
精進落としの席で、
「そうよ、そうよ。もう一つ親父は絶対に人の悪口を言わなんだのぉ。人が集まって悪口を言い出したら、知らぬ間にその場に居らぬようになりよったなぁ」
愚痴をこぼす事なく、いつもニコニコして淡々と暮らしておられた故人から、尊い教えを頂戴する機会となりました。
新しい年のはじめに、自分を失わない一年への決意をみなぎらせてまいりたいものです。
〜月刊誌「花園」より
小田実全(おだ じつぜん)