法話の窓

009 二人の訪問者

「こんにちは」
寺の近くで商売をしている太郎さんの家に、ある日、若い娘さんが訪ねてきた。笑顔が素敵な美人で、いつまでも一緒にいたくなるような女性であった。

「あなたは、どなたですか?」・・太郎さんの質問にその女性さんは、意外なことを言った。
「私は、家々を訪ねて、福の種をまいている福の神です」・・太郎さんは、福の神の出現で、すっかり舞い上がってしまった。
「それは、それは。どうそ、どうぞ奥へお入り下さい」といって大歓迎し、家の一番奥の、上の間に通して、その女性の前にご馳走を並べた。

 それからしばらくすると、太郎さんのところへ、また別の女性が訪ねてきた。その女性は大変みすぼらしい格好をしており、太郎さんの好みの女性ではなかった。
「あなたは、どなたですか?」・・太郎さんがたずねると、「私は貧乏神です。しばらくこの家において下さい」と言う。

 美人の福の神の登場で、すっかり良い気持ちになって満足をしていた太郎さんですが、今度は迷惑な客が現れたものだと腹を立てた。「とんでもない。お前など、とっとと帰れ。おい誰か、早く玄関に塩をまいてこの女を追い返せ!」

 貧乏神の女性は、太郎さんの勢いに押されて一瞬よたよたとひるんだが、すぐに背筋を伸ばして立ち直り、にやりと笑ってこう言った。
「あなたは愚かなことをしましたね。先ほどの福の神は私の姉なのです。私たち姉妹は二人で一人、決して離れることができないのです。私がこの家に入れないなら、姉もここには留まれないのです。では、さようなら」と言って、貧乏神の女性は去って行った。

 太郎さんが慌てて家の中に戻ってみると、すでに福の神の姿は消えてしまっていた。

 これは禅の教えを説いた例話です。
 世間一般の多くの人は、ことさらに悪い事を避け、自分にとって都合の良いことばかりを求めがちです。しかし現実はどうかといえば、良いことがあればまた悪いことがあり、生があれば死もあるのが、私たちの人生なのです。
 そこで幸も不幸も共に自分の人生であると受け止め、そういった生と死・苦と楽・幸と不幸といった対立する二つのものを共に超越し、常に安定した心で力一杯生きる教え、それが禅なのです。

河野 弘昭

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