法話の窓

016 今の自分をみつめる

 「醜い中にも美しさを、卑しいことにも尊さを、乏しい暮らしにも豊かさを、まずいものにもおいしさを、苦しいときにも楽しさを、ニッコリ笑って発見しよう。」

 これは、東京の下町、バタヤ街の天使と慕われた北原玲子(キタハラサトコ)さんの言葉です。人生は、楽しい瞬間の連続ではありません。苦しいことや悲しいことに出くわすこともよくあります。しかし、それは不幸なことではなく、人生を歩む一過程にすぎないのです。

 山田新一さんは、高校二年の春休み、ある事故で左目を失明しました。当時野球部員だった彼は病院のベッドで失意に落ち込んでいました。そして、お見舞いに来た級友に、野球を断念することを告げます。するとその友人は、「鉄砲を撃つときは片目でうつだろう」と言ったそうです。彼はこの言葉で、ヤル気に眼を覚ましました。そして、退院後も野球にうちこみ、現在も少年野球の指導者として奮闘しているそうです。(岐阜県笠原町編「忘れられない言葉」より)

 彼は友人の一言により、左目の失明を自分のおかれた事実として素直に受け入れることが出来たのです。その上で、自分の生き方を問い直し、今の自分というものを見つめ直したのではないでしょうか。つらさを心の糧としてたちむかって生きる姿に心を打たれます。

 人間、苦しいことに遭遇すると、周りの人達と距離を置いたり、疎ましく感じたり、反発し、失望落胆します。そんな時、今自分の置かれた状況を事実として、しっかりと見極めていくことが大切です。心静かに、自分の「今」を見つめて、「今」に向かって眼を開く。するとやがて遠くから、生きる言葉がこだまして来ることでしょう。仏教とは、「いのち」を大切にする宗教です。そして「禅」とは、「今」をみつめていく教えです。

 「禅とは平気で死んでいくことだけを教えるのだと思っていたら、どんなときでも精いっぱい生き抜けと教えている。」これは、明治の俳人、正岡子規の言葉です。妙心寺は、その「禅」の道場であります。皆さんも、一日一度は静かに坐って、身と呼吸と心を調え、今の自分というものを見つめ直してはいかがですか。

濱木 宏道

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