法話の窓

019 一歩一歩踏みしめて 精進

 禅の言葉に「冷暖自知」(れいだんじち)というものがあります。この意味は、水の冷たさや暖かさは、自分の手を入れたり飲んでみて初めて、「冷たい」「暖かい」と知ることが出来るという教えであります。その水を触れたり飲んだ人しか伺い知ることの出来ない世界です。

 禅は体験の教えです。理屈や理論・知識ではなく、体験や経験を通じて諦(あきら)めていくこと、これが禅の世界なのです。だから禅は、四の五の言う前にまず自らがやってみること。何事も一歩を踏み出してみることから始まるのです。

 これは十四年前の話です。私にはその頃、悩みごとや迷いがありました。ある日、たまたま仏教辞典で「幸福」のところを読んでいたら、お釈迦様が幸福について次のように言われたと書いてありました。

 "比丘たちよ。多くの人々の利益と幸福のため世間を憐れみ、その利益と幸福のため諸国を巡り歩くがよい。一つの道を二人して行かぬがよい......"と。

 実はその頃、私の友人が四国遍路をしたということを伝え聞いて、それなら私も巡ってみるかと一大決心をし、旅支度をととのえて四国遍路に出発したのです。時の勢いで一人勇んで出かけては見たものの、いざ巡ってみると歩き遍路は想像以上に辛く大変なものでした。

 初めのうちはワラジ履きで歩いていましたが、そのうち足の裏には豆がたくさんできて痛くなり、膝の関節の調子も悪くなって、とうとう歩けなくなってしまったのです。しかし、ここで止めるわけにはいきません。私はワラジから地下足袋に履き替えてみましたが、どうも案配が悪い。そこで今度は運動靴に履き替えてみると楽に歩けるようになりました。

 遍路中には一人旅の寂しさを感じたり、自分の心の弱さがよく見えました。また、さまざまな貴重な体験をすることもできました。十年以上経った今でも、目をつぶるとその時の様子がきのうのことのように思い出されます。

 痛い足を引きずりながら川岸を歩いていると、自転車を駆る少年から「お坊さん、こんにちは。頑張って下さい」と温かい声をかけられて勇気づけられたこと。車いすに乗ったおばあさんより「私の代わりにお参りをしてください」と言ってご接待されたこと。遍路道の山越えのために必死で尾根づたいを歩いていたら、松の大木が「頑張れ、頑張れ!」と言って励ましてくれているように感じられたこと。また、道中に吊り下げられた「道しるべ」の言葉に勇気づけられたり、谷川のせせらぎや、木々の緑、岩の大きさに圧倒され、ある時は太平洋の大海原に感激し、家の人から湧き水を頂戴し、乾いた喉を潤したその水のじつに美味しかったこと等々......。いろいろな方々の人情の機微に触れたり、大自然の恵みに励まされ助けられながら、人の心や大自然の優しさ・暖かさ・厳しさや、自分の心の有り様を深く感じ取ることが出来た思い出深い旅でありました。

へんろ道にて一休み(高知県)

 人生はよく旅に喩えられますが、特に若い時には何事にも前向きに挑戦していく姿勢が必要です。自分の行いに責任を持ち、目標を掲げて五年・十年と一つの道を真面目にコツコツと歩き、後悔のない今日一日を生きてまいりたいものです。

 

 「第一の歩みそこに踏みしめて

    道ひらき行く人に幸福あれ」

               (九条武子)

竺 泰道

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