法話の窓

024 坐る

 私のお寺の本堂に、仏教詩人 坂村真民(さかむら しんみん)先生の「坐る」という題で、次の詩が掲げられています。

 「坐る」

   死のうと思う日はないが 
   生きてゆく力が
   なくなくることがある
   そんな時 お寺を訪ね
   わたしは ひとり
   仏陀の前に 坐ってくる
   力わき明日を思う心が
   出てくるまで
   坐ってくる
           真民

 先生は、死のうとまでは思わないが、時々生きていくことに、自信がなくなる時があるといいます。そんな時、お寺を訪ね本尊さまの前で坐禅をされるという。明日からまた、元気に生きていく勇気・力がでてくるまで、一時間でも二時間でも坐ってくるといいます。

 先生は、死のうとまでは思わないが、時々生きていくことに、自信がなくなる時があるといいます。そんな時、お寺を訪ね本尊さまの前で坐禅をされるという。明日からまた、元気に生きていく勇気・力がでてくるまで、一時間でも二時間でも坐ってくるといいます。

 ある高校生が、先生に「この詩を書いて下さい」と、頼まれた時「君は若いのだから、もっと別の詩があるだろう」と、いうと「この詩が腹にズシンとくるんです。この詩の好きな友達もいます」と。先生は「人生を真剣に考えている若者もいるんだな」と、感心されたそうです。
 この世の中を娑婆(しゃば)といいます。意味は忍土(にんど)・忍界(にんかい)といって、忍ぶ土地・耐え忍ぶ世界という意味です。

 生きていくうちには、楽しさより苦しむの方が多いでしょう。つらい時、坐って下さい。坐っていると、心が調い、自分を見つめることができます。

 「誰かわが名を呼びたもう」皆に見放されても、仏さまが「今は苦しくても、頑張るんだよ」と、声なき声が聞こえてくるでしょう。

 私達の生命(いのち)は、かけがえのない尊い生命(いのち)です。そして二度とない人生です。生ある限り一日一日一所懸命に生きていく事が大切です。

森 哲外

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