法話の窓

034 天球儀を知っていますか?

 私の住む大分県は、江戸時代の偉大なる自然哲学者三浦梅園※の郷里でもあります。梅園は二百年以上も前から、地球は丸いという事実を発見し、同じ地球上でも、北半球が夏なら南半球は冬であるということを知っていました。

  梅園の思想は、この世は相反する対から成り立っているという見方にあります。つまり地球には北半球と南半球が対としてあり、そこでは夏と冬と相反する現象が見られる。したがって、一方だけを見ては地球の正しいとらえ方にはならないという、「反観合一」の認識です。

  このように、広い視野にたって万物をとらえていく「反観合一」の思想は、仏教思想とあい通じるところがあります。

  私たちは、日々の生活の中でいろんな物事を自分中心のモノサシでとらえ、判断していますが、そうした判断が果たして本当に正しいのか、すべてをとらえていたのかと、自分を静かに振り返ると、私自身反省させられるわけですが・・・

  さて仏教には「生死一如」という教えがあります。これは生と死は二つに分けられるものでなく、一つのものであるというのです。

  普通に考えれば、生と死は明らかに対極であり、死ぬことを考えるなんて縁起でもないと思う方もおられるでしょうが、生と死は表裏一体をなすものであり、どんな人であれ人間の死亡率は間違いなく百パーセントです。

  私たちは生まれたとき、喜び勇んで出生届けを提出しますが、その届けの裏側には残念なことに白紙の死亡届けがすり込まれているのです。

  「生死一如」とは生命あるものには必ず最期があるという、だれもが避けることのできない存在の真相・真実をみつめて、この一日一日を大切に生きよという教えなのです。

  梅園は地球を考察する上で「天球儀」なるものを使ったのだそうですが、この天球儀とは如何なるものか?

  辞書によると「天球」は地球上の観測者を中心として想像した、無限大の半径をもつ球体で、「天球儀」は天球上の恒星・星座などの位置や軌道を記したものとありますが、どんなものか想像できますか?・・・

  ひるがえって、私たちも「死」という天球儀を手にしたとき、いろんな真実が見えてくるような気がするのです。 

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※三浦梅園
1723-1789(享保8年-寛政元年)豊後国国東郡西武蔵村生れ。
16歳の時地元の藩学に学び、23歳の時に長崎に遊学して蘭学を学ぶ。30歳の時、星学の書を読んで自ら研鑚を重ね、天球儀を作って、その大意に通じ、天地の条理を知って条理学と名ずける。わが国における地動説の第一人者であった。

上野浩道

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