法話の窓

077 ハチ

 平成4年4月に子犬がやって来ました。長い間、近くの氏神様のお社(やしろ)の下で捨てられていたミックスの典型的な犬でした。雌雄の区別もつかないまま名前をハチとしました。

 子犬ですから可愛いのは当然なのですが、顔付きも目がパッチリとして丸々し、誰方が来られても「可愛い犬ですね」と喜ばれていました。家族の中心的な存在となるには、さ程、時間もかからず、いつも話題の中心となり、みんなから大切に育てられました。子供たちも交互に散歩に連れて行ったり、洗ってやったり、嫌な顔もせずに世話をしていました。

 ある時、外で誰かが話しているようなので、外に出てみますと、下の女の子が、当時小学2年生でしたが、このハチと話していました。「いいなあ、お前は。私なんかは、行きたくないけど、明日も学校へ行かんならんのやから」とブツブツ言っていました。口数の少ない子供でしたから、あらゆる悩みや苦しみは、外に出すことなく、このハチにぶつけていましたようです。

 あれから15年、みんな大きくなって、電話をして来ても開口一番、「ハチは元気してるか」という問いでした。「両親が元気かって聞かないのか」と言うと、「ハチが心配やから」と言うのがいつもの決まり文句でした。

 この冬、心配通りに弱って来ました。いつものように朝、5時前になると散歩に出るのですが、なかなかハウスから出ようとしません。寒い中で待っていますと、やっと出て来たのですが、全く行こうとしません。それでもクサリを外して散歩用のヒモに変えてやると、フラフラしながら付いて来ましたが、途中で動かなくなり、引き返すことが何度かありました。食もだんだん細くなり立つこともおぼつかくなってしまったのです。

 その日、1月7日、明け方の4時過ぎ、帰って来ていた長男に看取られて他界しました。

 いつものように丸くなって、静かにそのまま眠りに着きました。目に一杯涙を溜めて、「お父さん、ハチがよくなかった」と告げに長男がやって来たのは、午前6時でした。

 その日、午後4時に2人で斎場に運び、お骨をもらって帰って来ました。本堂に安置してお勤めを終え、隣の部屋で、ゴロッとしていた時でした。部屋の中の閉め切った所ですから風などが入る訳がありません。にもかかわらず、サッと一陣の風が、寝転んでいる私の上を通って行きました。机の上の紙を落として。

 その時、感じました。ハチが私を越えて本堂に向かった事を。こんな事があるのです。

 翌日、お骨をふくらんだ梅の花の木の根元で水仙の花に囲まれた地に埋めてやりました。それから毎日、ハチの居た場所に声を掛けて居た時と同様に散歩を続けています。どこへ行っても側についているんでしょう。

 人でも動物でも亡くなって終わりではない、何処にも行かない、いつも一緒であることを感じた出来事でした。

林 学道

ページの先頭へ