法話の窓

087 一日の身命尊ぶべし

 ある日、すばらしい天気にさそわれて、近くにある別府観光港に出向きました。 

 潮風が心地よく吹きわたる午後、そこに生涯忘れ得ぬ光景を目にしたのです。 

 八幡浜行きフェリーの駐車場で、二台のトラックが後ろと後ろをくっつけて荷物を移しかえているのです。その荷物とは四頭の馬でした。一台のトラックは高知ナンバーで、荷台には高知競馬場とありました。もう一台は久留米ナンバーで、荷台にはある馬刺し店の名が書かれてあったのです。もうおわかりになるでしょう。高知競馬場で使いものにならなくなった競争馬が、馬刺し業者に譲り渡される場面に巡り合わせたのです。
 馬は自分の行く末がわかっているのでしょうか、数人の男性が大きな板で馬を移そうと押し続けるのですが、馬は最後の抵抗を続けます。暴れながらも荷台に移され、鼻先をロープでくくられると、馬はとうとう観念したかのように静かになりました。
 もの言わぬ漆黒の瞳が、涙であふれたように見えて仕方がなかった。そして、どうすることもできぬ無力な私が、そこに立っていました。

 人が生きていくためには、いろいろな支えが必要です。毎日いただく食事も、動物や植物のいのちにほかありません。また、この豊かな社会も多くの人々が支え合っているからこそ成り立っています。それがわかれば、自分自身のいのちの重さ、一日の重さもわかってくると思います。

 ご本山妙心寺の『生活信条』では、このように教えます。

 

「生かされている自分を感謝し報恩の行を積みましょう」

上野浩道

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