法話の窓

089 秋彼岸

ほろほろと 秋のひかり 手にうけて
もったいなくて もったいなくて
穂すすきも 桔梗も かるかやも
みんな風に動いている

 

 九月二十日より二十六日までは秋彼岸です。
 彼岸とは、生きとし生けるものが全て仏であることを知り、この世がそのままに浄土であることに気づくときです。
 先の詩は、龍沢寺のお師家であられた中川宋淵老師が詠われた詩です。
 何気ない秋の景色にも、仏の命が満ち溢れている。その命に包まれ、私も同じ日差しを平等に受けていることが、なんともったいないことか。その感動がこの詩には込められているのだと思います。
 私の住むお寺の庭には、樹齢三百年にもなる大銀杏があります。
 暑い日には日陰を作り、秋には沢山の銀杏を落としてくれます。そしてこの地域とお寺をずっと見守ってきた大木です。
 しかし、その大銀杏の枝が数年前の台風で折れ、大きな被害が出てしまい、これ以上の危険を避けるため昨年すべて枝が切られてしまいました。
 私も地域の人たちもその雄々たる姿を失ったことを大変悲しみました。ところが、大銀杏は今年になり細いながらも沢山の枝を精一杯に広げてくれたのです。その一生懸命に銀杏を生かそうとする命は、私たちに感動を与えてくれました。
 桔梗もススキも冬には姿を消してしまいます。しかし、死んでしまったわけではありません。種を落とし、また次の年にはその姿を見せてくれるでしょう。
 私たちもたとえ姿を失ってしまったとしても、落とした心の種はきっとどこかで花を咲かせてくれているのです。
 お彼岸には、祖先の残してくれた種を拾いにぜひお墓参りに行かれてみてはいかがでしょうか。

曽我部祖純

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