法話の窓

097 お正月

 あけましておめでとうございます。

 いよいよ今年も始まりました。みなさんも新たな夢や希望を持って新年を迎えられたことでしょう。

 でも、ちょっと待って。その前に一年の終わりをどのように過ごしたでしょうか、振り返ってみたいのです。ある人は家族団欒でテレビを見ながら。ある人は、友達とわいわい遊園地のカウントダウンで。ある人は携帯電話のメールで一年の終わりを知った方もお見えでしょう。

 お寺では、除夜の鐘をついて一年を締めくくります。ゴーン・・・ゴーンと百八つの除夜の鐘の音が響き渡ります。私自身gone・・・gone・・と何も出来ず、あっという間に過ぎ去ってしまった一年という時間が心にしみてきました。

 室生犀星さんに「けふ(きょう)という日」と題した詩があります。

 

「けふという日」       

  時計でも
  十二時を打つときに
  おしまいの鐘をよくきくと、
  とても 大きく 打つ。
  これがけふのおわかれなのね、
  けふがもう帰って来ないために、
  けふが地球の上にもうなくなり、
  ほかの無くなった日にまぎれ込んで、
  なんでもない日になって行く。
  茫々何千年の歳月に連れこまれるのだ、
  けふという日、
  そんな日があったか知らと、
  どんなにけふが華やかな日であっても、
  人びとはそう言ってわすれて行く。
  けふの去るのを停めることが出来ない、
  けふ一日だけでも好く生きなければならない。

 

 室生犀星さんは、一日の終わりの時計の音を聞いて、満足に生きられなかった一日、無駄に過ごした一日を省みたのでしょう。一年は一日一日の積み重ね。夢や希望を持って始まった一年も、あっという間に過ぎ去ってしましました。その夢や希望に向かって何が出来たことでしょうか。

 お正月の「正」という字を分解してみると「一」と「止」に分けることが出来ます。ここに、お正月を過ごすヒントが劃されています。日頃の慌しさを離れ、ゆったりと大きく深呼吸しながら過ぎ去った年を省みることで、新たな誓いが生まれるてくることでしょう。

 新たな年を迎えたお正月。一旦立ち止まって、古い息を吐き出して新しい息をいっぱいに吸って始めていきましょう。

羽賀浩規

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