東京禅センター

vol.4 お布施のこころ

お布施のこころ

緊急事態宣言が延長されてしまいました。もうひとふんばりですね。

今回は妙心寺派布教師 野田 晋明師(愛知県春日井市 林昌寺副住職)の法話をお伝えします。

 

□■   お布施のこころ 野田 晋明 ■□

先日、在家の友人と話をしていたときのこと。ひょんな話の流れから「お坊さんはどのようにして生計を立てているの?」という質問が飛んできました。

そこで私が「主に檀家さまからお布施をお預かりして暮らしているよ」と答えると、「お布施って何?」と更に聞かれたのです。

お布施という言葉そのものは、一度は耳にしたことがあるという方は多いのではないかと思います。

しかし改めて「お布施とは何か」と聞かれたら、皆さまは何と答えますか?

私がよく聞く定義は「布施とは、お坊さんがお経をよんでくれたことに対して支払われるお金」というもので、どうやらサービスへの対価と認識されていることが多いようです。

しかし、実際のところ「布施」という言葉が意味するところはもっと広いと、私は考えています。

布施の本来の意味合いを考えるとき、「三輪空寂(さんりんくうじゃく)」という言葉が思い出されます。

「三輪」とは、施す人・施しを受ける人・施されるものの三つのこと。

そして「空寂」とは、「執着から離れて清らかである」という意味です。

つまり、施す人、施しを受ける人、施されるもの、この三つが共に執着を離れて清らかである

――この状態が布施の根本的な在り方です。

布施における執着とは、例えば「あの人にプレゼントをあげたら、もっといいお返しが来るかもしれない」「ボランティアをするのは面倒だけれど、やれば褒められるに違いない」などのように、見返りを追求することです。

しかしそのような「ギブ&テイク」の考え方は、言うなれば無味乾燥な取引であり、三輪空寂の考えに照らせば、布施の本来の姿とはかけ離れていることになります。

では布施の本来の姿というのは、具体的にはどのようなものなのでしょうか。
私の体験から、皆さまと考えてみたいと思います。

皆さまは「おてらおやつクラブ」という活動をご存知でしょうか?

これは、お寺にお預かりした食品や日用品などのお供えものを、仏さまからのおさがりとして頂戴し、経済的に困難を抱える子どもの成長を支える全国各地の団体へとおすそわけ(寄付)をする、NPO法人の活動です。
(詳細→https://otera-oyatsu.club/


私が副住職を務めるお寺もこの「おてらおやつクラブ」の参加寺院の一つで、これまでに何度かおすそわけをお送りしたことがあります。

送る際は、相手の負担にならないよう送料はお寺持ちです。
はた目からみれば「お寺があげてばかりで、損しかしていないではないか」と思われるかもしれません。

確かに、先に書いたような「ギブ&テイク」という視点でみてしまえば、お寺の持ち出しばかりで不利益を被っているようにも思えます。
しかし私自身はこの活動を通じて、お金や物品以外の大切なものを頂いていると感じます。

それらを全てここに挙げきることはかないませんが、中でも一つ印象深い出来事を紹介します。

ある時期、私は仕事がたくさん溜まっていて睡眠不足が続き、鬱々とした気持ちで日を過ごしていました。
体調が優れず、心身ともに辛い期間があったのです。

しかし、「おてらおやつクラブ」の配送だけはやらねばという思いがあり、とある児童養護施設におすそわけをお送りしました。

配送を終えてから数日後。施設からお礼のお手紙が届きました。
もちろん、施設の職員さんがしたためてくださったお礼状自体も嬉しいものでしたが、いっそう嬉しかったのは子どもたちからの直筆のお便りが入っていたことです。その中に、次のようなメッセージがありました。

「いつも、おくってくれてありがとう。みんなでなかよくたべたよ。お勉強がんばるね。おしょうさんも、
むりはせずからだに気をつけて、がんばってね!」

これを目にした途端に、今までの憂鬱な気分が一遍に晴れたような心持ちがしました。
自分が差し上げたものが役に立っているということ以上に、見ず知らずの子が自分の体調を気遣ってくれた。

そのささやかな思いやりが、私にとってはかけがえのない励ましとなって、心に火を灯してくれたのです。

そして「お互いに、頑張ろうね!」と、顔も知らないその子に想いを馳せ、心の中でハイタッチをしました。

私は、この子の何気ない気遣いこそが、冒頭に話題にした布施の本来の姿ではないかと思うのです。つまり布施とは、単に金品を差し出すことではなく、見返りを求める利己心を離れたところから出てくる思いやりの気持ちに他なりません。

その思いやりが、私を救ってくれました。
この時、私はふと坂村真民という詩人の「小さなおしえ」という詩を思い出しました。

 

見知らぬ人でもいい 雨に濡れていたら
走っていって 傘に入れておやり 
バスから降りるときは 疲れた車掌さんに 
ありがとうと言っておやり
道ですれちがう おばさんたちには 
幸せを祈っておやり 
目の見えない人が歩いていたら おっ母さんになったつもりで 
手をひいておやり 
ねがえりもできず ねている人があったら こおろぎのように 
そっと片隅で愛のうたを うたっておやり 
小さなことでいいのです あなたのむねの ともしびを 
相手の人にうつしておやり

 

お金がなくてもいい。物をあげられなくてもいい。
見返りを求めることなく自分にできることを他者に施すことで、それぞれが胸に持つ温もり、すなわち「ともしび」が移っていきます。

そしてその「ともしび」は次から次へと繋がり、循環して、社会を温かくしてくれるのだと思います。

しかし現代は、「ギブ&テイク」すなわち「見返りを求めずにはいられない」という考え方が主流であると感じます。

するとどうしても私たちは、人が本来持っているはずの温もりを忘れがちになります。

結果、世の中が冷えびえとした生きにくいものになっている気がしてなりません。
布施のこころを改めて見つめ直すことが、温もりあふれる生きやすい世の中をつくるうえでの一つの鍵になると私は信じています。

 

■╋■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
╋■┛ 臨済宗青年僧の会 インターネット坐禅会のお知らせ
■┛━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
臨済宗青年僧の会(昭和55年に設立された臨済宗各派の青年僧の有志団体)がインターネット上にzoom(いつでも、どこでも、どんな端末からでも Web会議を実現するアプリ)を用いて坐禅の会場を作り、管理しています。

この会場で、多くの和尚様が直日として坐禅会を開催し、一般の参加者が集まって坐禅されています。

↓↓ 臨済宗青年僧の会 HPよりアクセスしてください ↓↓
http://www.rinsei.net

ページの先頭へ