vol.6 三界は安きこと無し、猶お火宅の如し
三界は安きこと無し、猶お火宅の如し
新型コロナウィルスの流行が未だ収束せず、自宅で生活し外出を自粛する日々が続いています。皆様いかがお過ごしでしょうか?
忙しい時分には、たまには自宅でゆっくりしたいものだと考えていたひとも多いと思います。けれど、いざ自宅での生活が四六時中続くと、窮屈で退屈なものと考えるひとも多いものです。現状にはいつも不満を抱き、違う状況やものを欲しがる人間性が浮き彫りになる身近な例だと思います。
主題の言葉は、『法華経』の譬喩品に収録されている句です。
三界とは我々、衆生が輪廻する欲界・色界・無色界のことを指して『法華経』の中に引用されます。いわゆる六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)も三界に含まれています。主題の、
三界は安きこと無し、猶お火宅の如し
とは、我々が生きるこの世界は安住することができない、火事で燃え盛る家のようなものである、という意味です。前段を含め、『法華経』譬喩品を紹介いたします。
諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。
(意訳)諸々の仏は、全ての生きとし生けるものが本来具える仏知見(仏の智慧)を悟り、煩悩執着なき清浄な心を得るために、この世に出現された。
衆生に悟らせるために、この世に出現された。衆生が悟りの道に入ることができるよう、この世に出現された。
舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世。三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏
(意訳)舎利弗(シャーリプトラ。お釈迦さまの十大弟子のひとり)よ。
諸仏は一大事因縁(最も大切な目的)があるが故に、この世に出現された。
衆生が生死を繰り返す三界(欲界・色界・無色界)は安住することができないところである。まるで火事になって燃え盛る家のような世界だ。だから、そこかしこに苦しみが満ち満ちて、衆生は恐れ慄いてばかりだ。
常有生老 病死憂患 如是等火 熾然不息 如来已離 三界火宅 寂然閑居 安処林野
(意訳)常に生老病死を憂い患い、それはまるで炎が衰えることなく、ますます燃え盛るようなものである。仏(修行を完成した者)は已に火事の家より離れて、心静かに閑静な林や野原に住んでいる。
この「三界は安きこと無し、猶お火宅の如し」は、宗祖 臨済禅師の言行録『臨済録』にも以下の通りに引用されています。
大徳、三界は安きこと無し、猶お火宅の如し。此は是れ汝が久しく停住する処にあらず。無常の殺鬼、一刹那の間に貴賎老少を揀ばず。汝は祖仏と別ならざらんと要せば、但だ外に求むること莫れ。汝が一念心上の清浄光は、是れ汝が屋裏の法身仏なり。汝が一念心上の無分別光は、是れ汝が屋裏の報身仏なり。汝が一念心上の無差別光は、是れ汝が屋裏の化身仏なり。此の三種の身は是れ汝即今目前聴法底の人なり。祇だ外に向って馳求せざるが為に、此の功用あり。(中略)ただ情生ずれば智隔たり、相変ずれば体殊なるが為に、所以に三界に輪廻して、種々の苦を受く。若し山僧が見処に約せば、甚深ならざるは無く、解脱せざるは無し。
(意訳)三界(欲界・色界・無色界)は心休まることなく、燃え盛る家のようなものである。ここはあなたたちが長くいるべき場所ではない。諸行無常の殺人鬼は一刻の間も我々に与えず、貴賎老少を選ばずに襲いかかってくる。
あなたたちの一念心上の清浄光は、誰もが等しく具える仏性そのものだ。
あなたたちの一念心上の無分別光は、誰もが等しく具える仏性のはたらきそのものだ。あなたたちの一念心上の無分別光は、誰もが等しく具える衆生を救う化身仏そのものだ。この三種の仏身(法身・報身・応身)は、他の誰でもなく、今私の説法に耳を傾けているあなたたちである。ただ外に向かって、求めないがために、この功徳を受けることができるである。(中略)ただ想念が起こると知慧は遠ざかり、思念が変移すれば本体は様がわりするから、迷いの世界(三界)に輪廻して、さまざまの苦を受けることになる。しかし、わしの見地に立ったなら、極まりなく深遠、どこででもスパリと解脱だ。
『法華経』では仏は外から私たちを救いに来てくださる様相でしたが、『臨済録』の中で臨済禅師が「説法に耳を傾けるあなたこそ仏である」と喝破されています。他のひとと比べたりすると、あっという間に実物とイメージがずれてしまうために、妄想や煩悩に苛まれて「苦」が増大します。前出の『法華経』の言句である
三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏
(意訳)衆生が生死を繰り返す三界(欲界・色界・無色界)は安住することができないところである。まるで火事になって燃え盛る家のような世界だ。だから、そこかしこに苦しみが満ち満ちて、衆生は恐れ慄いてばかりだ。
のようです。「苦」とは思い通りにならない・不満足ということです。
まさしく、欲しいものを買っても物欲が収まることのない心、新型コロナウィルス禍で思い描いた自宅でののんびりした生活の素晴らしさと現実の乖離そのものです。そんな当たり前すぎる日常が苦の原因であって、そこから逃れるためには外に求めてはいけないと臨済禅師は説かれます。
我々は、他と比べて安心したり、逆に不安になってしまう心の構造になってしまっています。
緊急事態宣言にて、自宅でゆっくりする時間を得ました。
心を見つめて、観察してみると良いと思います。
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