東京禅センター

氷と水と相い傷わず、生と死と還た双つながら美し

 中国唐代に浙江省にある天台山の国清寺にいたとされる伝説の僧、寒山の作の詩の一節で「氷と水は互いに否定し合うことがないように、生と死もお互いに対立し合うものではなく、それぞれがそのままに美しい(仏教名言辞典)」という意です。全編は以下の通りです。

 

生死の譬(たと)えを識らんと欲すれば

(意訳)生死というものについて深く知ろうと思うのであれば、

且らく氷と水とを将(も)って比(たと)えん

(意訳)よく氷と水の例えが用いられる。

水結ぼるれば即ち氷と成り

(意訳)水が冷やされて氷となり、

氷消(と)くれば返って水と成る

(意訳)氷が解ければ水に戻る。

已(すで)に死すれば必ず応に生きるべく

(意訳)死ねば、また生が与えられ、

出生すれば還た復た死す

(意訳)生まれ出でては死に向かう。

氷と水と相い傷(そこな)わず

(意訳)氷と水は互いに否定し合うことがないように、

生と死と還(ま)た双(ふた)つながら美(よ)し

(意訳)生と死もお互いに対立し合うものではなく、それぞれがそのままに美しい。

 

 十年ほど前まで、脳死や臓器提供など「死」について論じられる機会がたくさんあり、人々の関心を集めました。しかし、東日本大震災をはじめとして多くの天災を経験し、生命や生死についての認識が少しずつ変わったように思います。私たちが接した「生命」や「生死」は言葉で言い表したりルールなどで括った「生命」や「生死」とは本質的に違うことを感じ取ったのだと思います。

 近しい人を亡くした悲しみは計り知れないものがありますが、自らのなかにある生命の尊さに目覚めた人も多いと聞きます。

 東日本大震災からちょうど丸六年が経ったとき、岩手県沿岸部に法話のために巡ったことがありました。お檀家さんに温かく迎えていただきお話をしていると、いつ震災などに遭うかわからないので旅行に出かけたりすることが多くなるなど毎日を楽しく充実して過ごすように心がけるようになったと伺いました。誰もが望まない形でありましたが死を意識したことで、今生きていることが鮮やかに感じとる毎日を過ごすことができるようなったのだと思います。

 西村恵信師は「生は死と別々でなくて、生きることはそのまま死にゆくことである。生と死と相い傷わずとは生と死が水と氷のように別物でなくて、一つのものの異なった相だという意味である」と説かれます。

 生と死、私と他など、区別して遠いと思いこんでいた関係は、実はあまりにも近く密接な縁で結ばれています。勝手に分け隔てるこころは分別心と呼ばれ、人生の苦悩を創造してしまう一要因です。

 暖かな節分を迎え、春を感じ取ることができました。たくさんのひとやもののおかげで過ごせていることを改めて感じ取り、毎日を大切に生きていきたいものです。

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