雨を聴いて寒更尽く 門を開けば落葉多し
『大燈国師語録』に出てくる禅語です。元は唐の時代の詩僧、無可上人の「秋に従兄の賈島(かとう)に寄す」という詩の一節です。
暝虫、暮色に喧しく 默思して西林に坐す
雨を聽いて寒更徹し 門を開けば落葉深し
昔、京邑の病に因りて 并びに洞庭心を起こす
亦是、吾兄の事 遲回して共に今に至る
(意訳)
夕暮れ時、虫の声が辺りを包み、独り草庵にて坐禅を組む。
次第に虫の音から雨音に変わり、寒さが張り込める。
身を起こして門を開くと、見渡す限り落ち葉に覆われている。
昔、長安にて科挙に落ち続け、思い悩んで病に罹り、全てを映す洞庭湖のような菩提心を起こした。
以上は私の従兄(賈島)のことであるが、お互いに紆余曲折を経て今に至る。
賈島は臨済義玄禅師と同年代の唐の詩人で、苦吟(世間を悲壮的に捉えがち)と称されます。賈島は地方の小役人の子として生まれ、出家せねばならないほど家は困窮していました。出家後、韓愈(文人・地主であり官僚)に見出されて還俗して科挙を目指しますが、ことごとく落ちてしまいます。次第に悲壮的な詩や、当局を謗る詩を詠むようになります。
五十九歳で科挙に合格しないまま役人に登用されますが、非難(いきさつは不明)を浴び失意のまま病死してしまいます。
今回のテーマ「雨を聴いて寒更尽く 門を開けば落葉多し」は秋の禅語として名高く、茶席でも珍重されています。雨が降りしきる寒い夜更けが過ぎて、朝を迎え、門を開けると辺り一面に葉が落ちています。そうした幽寂閑居な風情を詠った詩だと評されますが、賈島の人生を辿ると少し見方が変わります。風情を詠った素晴らしい句ですが、彼を従兄と慕う無可和尚が賈島の人生を表した一節であることがわかります。
世間的な観点で言えば、賈島の人生は悪く不遇なものであって不幸の詩人であると言えるし、本人も不幸だと感じていたと思います。けれど飾りたてることなく自然を詩に仕立て、実直に生きた人生は、良い悪いを超えた鮮やかさがあると思います。「雨を聴いて寒更尽く 門を開けば落葉多し」は目の前の風景全てを詠んでいます。雨の音、肌寒い心地、秋の林の匂い、ひんやりとした門の触り心地、目に飛び込んでくる一面の落葉。何気ない秋の日常ですが、その場に身を置いていたなら、誰もが五感全てに鮮やかさを感じることでしょう。それこそが人生であり、諸行無常であると無可和尚は感じ取ったと勝手ながら推測しました。よく考えればどんなひとでも、人生は鮮やかです。
私は7年前に一型糖尿病を罹患しました。インスリンをつくる器官を自己免疫で破壊してしまい、全くインスリンが自分の身体でつくることができなくなりました。普通の人の平均寿命は生きられないかもしれない。そんな事実を突きつけられた私は、「なんで私だけこんなことになってしまったのか」「これからどうなるのだろうか」と入院当初はずっと後悔ばかりしていました。病室にいても落ち着かず、インターネットの画面を見続けていました。生後十ヶ月の娘を連れて家内が会いにきてくれたとき、こんなことではいけないと思い立ちました。次の日から血糖値を落とすため大学病院の敷地の中を歩き回りました。だらだら歩いていると不安や後悔ばかりで頭がいっぱいになります。風を切るぐらい早く歩くと余計な思いが浮かんでこないことに気づきました。一心不乱に歩いて3〜4日経ちました。2月にも関わらず汗だくになって歩き続けると、自分の心に変化がありました。銀杏並木のプロムナードの真ん中に立ったとき、視界がひろくなったような心持ちがして、たくさんのことに気づきました。頬を伝う風は冷たく、いろいろな匂いを嗅ぎ、銀杏並木は葉が落ちて空がとても広く感じました。そして「なんで自分だけこんなことに」「病室に帰りたくない」そんな自分の心を縛っていた紐がスルスルと解けていくような心持ちがしました。
自分に降りかかるできごとを良し悪しで判断することは簡単ですが、変えることは難しいものです。お釈迦様の諸行無常の教え通り、自然に時は流れていきます。自らが置かれた状況を明らかにして、しなやかな心で受け止めることができれば、鮮やかに人生を味わうことができるのだと思います。
演題に挙げた無可上人の「秋に従兄の賈島に寄す」には、
遲回して共に今に至る(意訳)お互いに紆余曲折を経て今に至る。
とあります。たくさんの泣き笑いをしながら諸行無常を過ごして今に至ることを味わっています。良し悪しを挟まずに即今を受け止めた心境こそ、
今回のテーマ
雨を聽いて寒更徹し 門を開けば落葉深し
であると思います。