頭頭全露法王身
新型コロナウイルスが中国の武漢市で発生し、世界中に蔓延しています。
各国で処置が講じられていますが、なかなか実態が掴めずに私たちは不安ばかり募らせています。人類の叡智をもってしても解明できないことが未だに存在することは当然のことですが、都市に生活していると不思議と恐怖を感じてしまいます。コントロールされた社会に慣れてしまい、自分の常識を超えるものを受け入れることができないでいるのかもしれません。
間違っている情報だとわかっていても、不安に心が囚われ、トイレットペーパーを求めて店頭に並んでしまいます。そうした人にモラルを押し付けたり、いがみ合うと町の雰囲気が悪くなる一方です。
自分で築き上げたモラルや判断にとらわれてばかりいると、迷妄に陥り、苦(不満足に感じること)ばかりが増えてしまうと仏教では説きます。
普段はビジネスや社会生活に重点を置いて過ごしていますが、コロナウイルスが流行り自分や大切なひとの生命を大切に思うことに立ち返ると、生命を見つめる機会を得ます。こうしたことは平生に頭では理解していますが、体験をもってしなければ、自らのものにはなりません。
表題の禅語「頭頭全露法王身(頭頭全く法王身を露わす)」は南宋の禅の宗旨が書かれた『人天眼目』に記されています。
私たちの身の回りの森羅万象、それぞれに仏身が現前しているという意味です。
迷妄や執着から離れることができたとき、周囲の生命が燦然と輝いていることに気づくという情景を表しています。
先述しましたが、こうしたことは頭では理解しますが、身体が打ち震えるほどの体験をもってしなければ、真意を捉えることはできません。けれど、そうした経験は誰もが何度かは経験があると思います。
小学生の頃、厳しいスイミングスクールに両親の意向で通っていました。
友達がサッカーや野球チームに入り、楽しそうに練習に向かう姿を見て、羨ましくてたまりませんでした。ひとりで頑張らないといけない水泳は面白くなくいやで仕方がありませんでした。どうやって辞めてやろうかということばかり考えていました。しかし、母はスイミングスクールの入り口で涙目になっている私を無理やり先生に預け、私に水泳を続けさせました。
小学校を卒業する直前、小規模な大会に出場することになりました。この大会で一生懸命に泳いでいる姿を親が見たら、スイミングスクールは小学校卒業と同時に辞めても良いと言ってくれるに違いないと思いました。
思いがけず種目2位に入り、息が上がったまま表彰台に上りました。濡れた手で賞状を受け取って無我夢中に表彰式を終え、台を降りながら思わず親を探しました。涙目で手を振る母親を見てハッと気づくことがありました。
水泳を続けてきて良かった、続けさせてくれてありがとうと、初めて親に感謝の念が湧きました。
母親に感謝を伝え、なぜ無理やり水泳を続けさせたのか聞きました。一つは喘息気味だった私の体を強くさせてあげたいと思ったから。もう一つは水の中で自分の力だけ進む水泳をすることで、自分のちからで何かやり遂げる経験をさせたいということでした。
いやだなと思っていても、大会に向けて無我夢中で泳ぎ、大会中も一心不乱で泳ぎました。そのおかげで余計なことを考えずに、親の気持ちを汲み取って素直にありがとうございますと、人生で初めて言えたのだと思います。「いやだな、なんで僕だけ水泳なのだろう」という妄想煩悩から離れて、初めて「おかげさま」と思えたことでした。
大いなるいのちの中で生かされることは、無数のいのちのことを思い、また思われることだと思います。
普段は考えもしないことですが、人智を超えた大いなるいのちの中で生かされていることを身を以て知ると、家族をはじめたくさんの思いに生かされて生きていることを知ります。
その境地こそ「頭頭全露法王身(頭頭全く法王身を露わす)」だと思う次第です。
新型コロナウィルスに罹患された方々の快方と、一刻も早い事態の収束を祈念申し上げます。