思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである
新型コロナウィルスと最前線で戦う医療の現場に携わる方々に感謝しながら、家に閉じこもる日々が続いています。
当初は海の向こうの話で、感染しても軽度だとか高を括っていましたが、そうではないことがわかってきました。たくさんの感染者の映像を見て、犠牲者の数を目の当たりにして、ようやく我々は目を覚まし各々対策を取るようになりました。
「われらはこの世において死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、人々がこのことわりを知れば、争いは静まる。 『ダンマパダ(法句経)』
不思議と、「根拠のない自信なのだけれど、自分は大丈夫な気がするのだ」と考えていた人は少なからずいます。受け止めたくない現実を隠し、心を平穏に保つ自己防衛の手段なのかも知れません。我々は自分の弱みを見ないようにして、他人と競争を繰り広げる社会を作り上げてきました。そして形の上だけで、社会的に弱い立場の人々を護ってきました。大事なことは、心に寄り添うなどという形だけの言葉ではなくて、自らも弱い存在だと目を覚ますことであると、『ダンマパダ』の文句は喝破します。
「この世の命が限られているものである」と自覚することが、命を味わって互いに生きていくことの拠り所となります。これが仏教の根幹の教えのひとつ「諸行無常」です。
目を覚まし、苦(仏教語では不満足)になるべく苛まれずに生きていくために、お釈迦様は『ダンマパダ』の中で、平易な言葉を用いて次のように説かれます。
思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである。
心は奮い立ち、思いつつましく、行ないは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法にしたがって生き、つとめはげむ人は、名声が高まる。
思慮ある人は、奮い立ち、つとめはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ。
智慧乏しき愚かな人々は放逸にふける。しかし心ある人は、最上の財宝をまもるように、つとめはげむのをまもる。
そんなことはわかっていると思う人も多いと思います。
けれど、この『ダンマパダ』の句のように自らの心に真摯に向き合った経験は、人生でどのくらいあるか、考えてみる必要があると思います。
それは、受け止めたくない現実を隠す心を平穏に保つ自己防衛のためかもしれません。今回の新型コロナウィルス流行によって、誰もかれもが生命の危険にさらされています。放逸にふけるのをやめて丁寧な生活をすることを思慮することが、限りある生命を生きていることを、頭だけの理解だけでなく身体いっぱいに感じることができる方法だと、お釈迦様は教えてくださっています。
そうした時、互いに寄り添いあって生きていることを改めて感じ、他のひとやものを慈しむ心も自然と生まれてくるのだと思います。
新型コロナウィルスに罹患した方々の一刻も早い快方と、事態の収束を臨済宗妙心寺派禅センター一同、心より祈念申し上げます。