東京禅センター

やがて死ぬけしきは見えず蝉の聲

八月十三日の夕方、車を運転して高速道路を進んでいるとゲリラ豪雨に見舞われました。滝のような雨であっという間に前が見えなくなり、次第に渋滞になりました。どの車の運転手も怖いと感じたからでしょう。

轟音とともに降る雨に困ったなと思って周囲に気を配っていると、十分ほどで空は晴れ渡り、遠くに見えるスカイツリーに二重の虹が掛かりました。

なんと清々しいことでしょう。雨音が止んだ夕晴は今年はじめてでした。猛暑日が続いて何もかもが汗ばんだ景色が全て洗われて、みずからの心まで清らかになったように感じながら浅草の自坊に帰ると、ゲリラ豪雨の轟音を思い出させるかのように蝉が鳴いていました。山門をくぐると、たくさんのセミがふらふら飛び出してきます。毎年、セミに体当たりされながら掃除をして感じることですが、立派な羽が生えているように思うけれど、セミはあまり飛ぶ事が上手くありません。特に朝はふらついてまっすぐ飛ぶ事さえままなりません。それに長く飛ぶことも苦手なように思えます。それでも短いひと夏の成虫の期間、一心不乱に鳴き続けるセミの姿には心を打たれます。

さて、松尾芭蕉の句に以下のものがあります。

 

やがて死ぬけしきは見えず蝉の聲

 

芭蕉は四十五歳ごろ、琵琶湖の南側に位置する近津尾(ちかつお)神社の境内にある幻住庵という草庵に四ヶ月ほど滞在したと伝わっています。芭蕉が金沢を訪ねた折に入門した秋之坊(加賀藩の武士であったが、のちに出家した)に示した句とされ、句の上には「無常迅速」と記されています。

もうすぐ死ぬのだという悲壮感も全く感じさせず、自らの生命を生ききるセミの熱のこもった孤高の姿を感じると、よく解釈されています。句の上に記された「無常迅速」は、時の移ろいは迅速であるから、散漫に時を過ごしてはならないと修行者に諭す言葉です。

 

さて自坊の周りを思い返すと、近くでセミが鳴いている場所まで百メートルほど離れています。セミの飛行技術を勝手に算段すると、自坊の限られた寺域だけで、セミは生命を循環させているのではないかと思いました。セミの一生を調べてみると、交尾が終わったメスは枯れ木に産卵し、翌年の梅雨の時期に孵化をするそうです。地表にでた幼虫は幾度か脱皮をして地中に潜りほとんど動かずに六年ほど過ごします。そしていよいよ地表に再び登場し羽化をして鳴き続けるのです。いずれ生命が尽きて養分となって寺域の様々な生命となって巡るのです。そう考えるとセミが一匹で鳴いているのではなく、寺域全体で鳴いているように思えてきます。

 

やがて死ぬけしきは見えず蝉の聲

 

とは、死ぬことも忘れて今を生ききることの尊さだけでなく、生死の枠組みを超えて大いなる生命の一端として一心不乱に鳴き続けるセミの姿を詠ったようにも捉える事ができます。大いなる生命とは諸行無常を貫くものです。芭蕉が示しした「無常迅速」とは、単体であると思っていた私自身も連綿と移ろいゆく生命の流れの中の一端であることを意味しています。

 

お盆を迎え、お墓にお参りされたかたも多いと存じます。

本堂やお墓という死にまつわる静かな場所と思われがちな寺院ですが、不思議と生命が力強く循環していることをセミの喧しさの中に感じ取ることができます。お墓参りをすることで、自らも生命のつながりの真っ只中にいることを感得できます。

 

新型コロナウィルス禍の只中、酷暑の夏が過ぎようとしています。様々な制約の中で日々の生活を送ることを強いられていますが、前を向いて生きていきたいものです。

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