東京禅センター

動中の工夫 -心の田を耕す-

冬野菜の種まきの季節になりました。

私は寺で家庭菜園をしています。法事や掃除など寺の仕事の合間の時間に農作業をします。

今年はコロナ禍の影響で法事や行事が数多く中止になりました。空いた時間が多くでき、農作業の合間に寺の仕事をするような逆転の事態になりました。すると、これまでとは違う畑の面白さに思わぬ形で気がつくことになりました。

 

これまでは自分の仕事の都合に合わせて、限られた時間内で効率を考えながら作業をしていました。こういう場合に陥りやすいのが、つい欲張ってしまうことです。品種を多く、収穫量を増やすことが物差しの基準になり、畑を最大限に活用しようと考えます。順調に作業が進んで収穫がたくさんあれば嬉しいですが、予期せぬ事情で作業が滞り期待したほどの味や収穫がなければ失敗した気分になります。失敗すれば改善して更なる向上を目指す。こうして効率化に追い回されると、ついには畑を自分のコントロール下に置くことが最大の目的になります。

今年になり時間ができた私には、一通りの農作業を終えてもなお畑に居残る時間の余裕がありました。すると、苗の成長に合わせて私が少しずつ手を差し伸べるという、これまでとは逆の立場に身を置いて世話をすることができました。日々成長する野菜の姿は生命力に溢れ、私がほんの少し手伝いをするだけで十分に育ちます。そして、これまでは欲張って無理な作業量をこなし、野菜を育てる本来の楽しみを見失っていたことに気がつきました。

 

江戸時代に活躍された白隠禅師は「動中の工夫は静中に勝ること百千億倍す」という言葉を残しています。静中とは坐禅修行、動中とは坐禅以外の修行のことです。では「工夫」とは何を意味する言葉でしょうか。手元の国語辞典『新明解』には「最善の結果を求めて、考えられる限りの方法を尽くすこと。また、その方法。」とあり、一般的な理解も同じだと思います。しかし、この理解で工夫をしたのでは、畑をコントロール下に置こうと無理をした私と同じ失敗に陥るかもしれません。静中という坐禅修行における工夫を考えると、白隠禅師の意味する工夫とは「禅定」あるいは「精進」に置き換えられる言葉なのかもしれません。つまりは、静中と同じく動中においても禅定や精進を目指すということです。

(禅定…心静かに瞑想することで得られる心の安らいだ状態)

 

ところで一般在家の人から見ると、お寺とは静中の場所、そして日常生活は動中の場所といえます。日常の中で生じた不安な心を鎮めるためにお寺に足を運んで坐禅や写経に取り組みます。しかし、お寺で静かになった心も、しばらく生活を続ける中で再び不安な気持ちに戻るようでは、いつまでたってもお寺に通わなくてはいけません。日常生活において心の安らぎを得ることが最終の目的であるならば、お寺と日常生活を分けて考えることを止めなければいけません。修行といえばお寺や山で行う精神修養という先入観がありますが、日常生活を修行の場とするのが禅仏教の在り方です。白隠禅師の動中の工夫もまた、日常生活を修行の場として禅定と精進を目指すことだと私は受け止めています。

私が畑で気がついたことは禅定や精進とは少し違うことかもしれませんが、少なくとも工夫の意味合いは変わりました。坐禅修行と畑仕事を分けて考えていたために、効率を追い回して野菜を育てる本来の楽しみを見失っていました。けれども畑仕事も動中の工夫であり、坐禅修行と何ら変わりのないものだと今は考えています。

 

最後に、お釈迦様が田畑に例えて心の修行について説かれた話を紹介します。当時のお釈迦様の仏教と中国・日本へと伝わった禅仏教との差異が大変興味深いですが、本意は同じです。

 

ある日お釈迦様が托鉢をしていると、人々が農作業をしている場面に出会います。作業を指揮するバラモンはお釈迦様の姿を見つけると歩み寄って言いました。

バ:「働かずに托鉢で食を得るばかりして、あなたも少しは自分で田を耕して食を得てはどうですか。」

釈:「私も耕して食を得ています。」

バ:「あなたが田を耕して農作業をしている姿を私は一度も見たことがありません。あなたの鋤(すき)や牛はどこにあるというのですか。何の種を蒔いているというのですか。」

するとお釈迦様は次のように答えて教え諭し、そのバラモンは帰依者の一人になりました。

 

「信はわが蒔く種子である。

智慧はわが耕す鋤である。

身口意の悪業を制するは、    (身口意…行い、言葉、心)

わが田における除草である。

精進はわがひく牛にして、

行いて帰ることなく、

おこないて悲しむことなく、

われを安らけき心にはこぶ。」

(雑阿含経、4、11、耕田 増谷文雄氏訳)

 

東京禅センターにおいても坐禅会や写経会の中止が続いています。お寺で顔を合わせられないのは残念ですが、オンライン坐禅会では自宅で坐禅をすることができます。それぞれに心の田を耕す活動を見つけて実践しましょう。

 

萬松寺 西田弘範

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