秋山風月清
表題とした禅語は「秋山、風月清し」と読み、誰もが思い浮かべる清らかな秋の夕べの風景を表しています。盛唐(713〜765)の詩人 杜甫の「吹笛詩」と題された詩の一節です。東京の街中や自坊では12月初旬くらいにカエデが色づくなど、都心では秋を感じづらくなりました。しかし小学校の教科書や童謡などで、表題の禅語が秋のイメージとして定着しています。茹だるような夏が過ぎて、青々と茂っていた植物も威勢をなくして少し枯れた様子が、煩悩や妄想をひと時忘れた悟りの境地に重なるとされて、禅の世界では尊ばれます。
さて数日前に東京西部の霊園墓地まで読経しに出かけました。
電車の終点である目的地まで寝てしまい、ハッと起きると肌寒く霧が立ち込めています。秋になったのだと身体で感じて嬉しくなって、霊園墓地までバスで向かいました。バブルのときに造成されたと聞く霊園墓地は其処彼処のお墓が無管理になってしまっていました。そうした背丈ほどのススキが溢れるように自生していて、隣の墓域にも進出しようとしています。その光景に驚いて、霊園管理の方に話すと、
ここでは、ススキは邪魔者ですよ。根っこは深くて太いからなかなか引っこ抜けませんしね。
と答えてくださいました。中秋の明月の折に、月の神の依り代である稲穂の代わりに珍重され、秋の代名詞であるススキも邪魔者になることもあるのだなと思いました。突き詰めれば清らかだとされるものを決めるのは人間の心であって、真実の世界はそれほど清らかではないとも思います。
表題の「秋山、風月清し」の原文は以下の通りです。
笛を吹く秋山 風月の清きに
誰が家か巧みに 断腸の聲を作す
風は律呂を飄して 相和すること切に
月は關山に傍うて 幾處か明らかなる
胡騎中宵 北走するに堪えたり
武陵の一曲は 南征を想う
故園の楊柳は 今揺落す
何ぞ得ん愁中 卻って盡く生ずるを
(意訳)
秋の山に吹く風も明るく照らす月も清らかな夜に、遠くから笛の音が聞こえてくる。誰がこれほど巧みに、人の腸をかきむしるような物悲しい音を吹きならすことができるであろうか。
風は笛の音律に抑揚をつけて調和を保つ。月は関所の山の近くにあって、幾つかの峰を照らしている。
このような笛の音を聞くと、晋の劉昆の故事(胡人の大軍に包囲されたとき、葦でできた笛の胡茄を吹いたところ、その哀切な調べに胡軍の兵が涙を流し、退却した)を思い出す。また後漢の名将馬援が武陵五渓(中国南方民族)の討伐の折に、「武溪深行」という詩を詠い、笛の名手であった部下に曲を作らせたが、このように悲しい音色であったろうか。
故郷(河南省洛陽の近くの小さな町)の柳も秋になって葉が落ち尽くしたであろう。それなのに今巧みな「折楊柳」の笛の音色を聴くと、愁いに満ちた私の胸中にかえっていっぱいに楊柳が芽吹き、柳の枝を折って別れる嘆きを繰り返すことなどできようか。
この当時の中国では、送別の場において楊柳の枝を折って旅立つひとに贈る「折柳贈別」という習慣があったようです。
この詩を読むと、李白の有名な「春夜洛城聞笛」という732年に作られた浪漫に満ちた詩が対比として浮かび上がります。
誰が家の玉笛ぞ 暗に声を飛ばす
散じて春風に入り 洛城に満つ
此の夜 曲中に折柳を聞く
何人か故園の情を起こさざらん
(意訳)
誰の家で吹く音のよい笛であろうか。どこからともなく聞こえてくる。
折からの春風に乗って、洛陽の町いっぱいに満ち満ちていく。
曲中に「折楊柳」が聞こえた。この曲を聴いて、故郷を思い出さずにいられる者がいるだろうか。
杜甫が先述の物悲しい詩を作ったのは768年とされていますから、李白の「春夜洛城聞笛」を知っていて、対比させたのかもしれません。
李白の春夜の詩は、暖かい春の時期の都会的な洗練さのなかに、遠くの故郷に思いを馳せる哀愁があります。対して、杜甫の「吹笛」は秋のひんやりとした空気のなかに、どうしても故郷に帰りたいという寂しさを重ね合わせています。
誰もが思い浮かべることができる秋の夕景でも、それぞれに思いを馳せるところは違います。悟りをひらいた清々しさを感じるひともいれば、狂おしいほどに故郷に思いを馳せるひともいます。
諸行無常を言い換えれば、どの境遇、どの瞬間も同じものはひとつもないということです。だからこそ、私たちの人生は良い悪い・清い汚いなど二元的な尺度では測ることはできません。
画一化されたイメージだけにとらわれずに、他に押し付けることもなく、目の前のことを味わい尽くすひとが、禅の教えでは自由闊達なひとなのだと思います。
日ごとに寒暖の差がある季節になりました。どうぞみなさまご自愛ください。