東京禅センター

「禅の三密」 ~静かに坐る~ 

 大晦日もあっという間に駆け足で近づく師走となりました。今年を振り返りますと新型コロナウィルス災禍により生活が一変し、収束もまだ目途は立たず、様々な行事も延期、中止を余儀なくされ、不安な日々をお過ごしのことと拝察いたします。今後も三密(密閉・密集・密接)を避け、換気、マスクの着用、手洗い消毒を徹底したいものです。
 さて、仏教でも三密があります。仏教の三密とは、身密(行動)、口密(言葉)、意密(心)の三密です。日常生活においてこの身口意に意識を向け調えていく実践が大事です。お釈迦様の最期のことばといわれる『遺教経』の一節に「教えの要は心を修むるにあり」とあります。その言葉に続くのが「己に克たんとつとむべし、身体を正し、言葉を正し、心を誠にし、常に無常の理を忘るることなかれ」と説かれ、まさに諸行無常のことを認識しつつ、煩悩(欲)に振り回される自身に打ち克ち、三密(行動・言葉・心)を正していく実践を説くのが仏の教えです。また、『懺悔文』にも「従身口意之所生 一切我今皆懺悔 (身、口、意によって生ずるところのもの、すべて我いま皆懺悔し奉る)」においても身口意を懺悔していくことの大切さを説きます。

 

 臨済宗妙心寺派の「生活信条第一」に、一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょうとあります。「三密」である身口意を調えていく点が、身(身)と呼吸(口)と心(意)と合致します。このことを実践すれば坐禅ということになります。「一日一度は静かに坐る」先行きが不透明な不安な時期だからこそ身体と呼吸と心を調えて「静坐」を自宅の部屋で実践しましょう。静かに坐ると心が落ち着き、正しく物事を判断する心が養えます。
 「静かに坐る」の「静」の漢字を分解してみますと左右それぞれ「青」と「争」です。現代人の心はかさかさに渇いて荒廃しています。今の季節ですと私自身も坊主頭の頭皮や顔面の肌もかぴかぴになり肌が荒れてきますが、保湿液を肌に浸してみると、しっとり潤いハリのある肌でゆとりがでます。皆様も心が荒れてきたなら、ちょっと立ち止まってゆっくり坐り、心にしっとり潤いを与えてみましょう。水の象形文字であるさんずい偏「氵」を左に加えると「清」「浄」になります。『臨済録』の「仏とは心清浄これなり」とあるように、渇かない心は、清浄なる心であり、仏の心であり、禅の心であります。

 

渇いた心に泉が涌きでる、禅の「おあしす運動」を紹介します。

 「お」おかげさまと感謝して (報恩奉謝(ほうおんほうじゃ))
 「あ」ありがとうを心を込めて (無常無心(むじょうむしん))
 「し」静(しず)かに坐り、心を清浄にして (静坐清心(せいざせいしん))
 「す」勧(すす)んで共に、歓んで手をあわせましょう (勧共歓拝(かんきょうかんぱい)

 今月十二月八日はお釈迦様が悟られた日です。菩提樹の下にて静かに坐って悟りを開かれたお釈迦様の心を追体験し、静坐して仏の心に一歩でも近づいてみませんか。大恩教主お釈迦様の悟られた内容の根幹は「諸行無常」~この世にあるものはすべて移ろいゆくものである。そして「縁起」~相互依存によって成立しているという教えがあります。煩悩やコロナウィルスもいつまでも同じ状態ではないはずです。身口意を調え清らかに、しっかり自分を見つめ、感謝を忘れず、今ここを大切に、お互いに手を合わせながら支え合って過ごしましょう。

松雲寺 住職 柳原好孝

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