「喝」
温泉寺住職 瀧 玄浩
新年を迎える私たちが念じて祈るのは、とにかく佳き1年が過ごせることではないでしょうか。しかし、念じ祈るだけでは中々「佳き1年」が実現しないというのが世の常です。
谷川俊太郎さんは自身の『生きる』という詩を題材にした同名写真集の後書きに次のように記しています。
「過去を生きることも、未来を生きることも実際にはできません。現実に私たちが生きるのはいつも『いま・ここ』です。(略)『いま』というこの一瞬はあっという間に過ぎ去りますが、そこには私たちの過去もそして未来もひそんでいるのだと私は感じています。だから『いま』という時は速いだけでなく、限りなく深い」
「いま・ここ」を生きる私たちが大切にすべきことは「いま・ここ」とどのように向き合うのかということに尽きます。向き合い方に応じて過去の出来事が覆ったり未来を制御できたりするわけではありませんが、過去未来に対する見方が変わることは間々あります。言い換えれば、「いま・ここ」と向き合う自己を観るという奧深さがあるのです。上手くいけば、善(良・好)き1年は適わずとも佳き(調った)1年にすることは可能かもしれません。
禅の世界では己事究明(こじきゅうめい)がこれに当てはまります。祖師方は、己事究明を通じて「いま・ここ」と向き合うことの大切さを説かれました。過去や未来を主眼として説かれる教えは恐らく見当たりません。たとえ過去を持ちだし、未来に言及しても「いま・ここ」あっての過去未来です。寝ぼける私たちを「いま・ここ」に引き戻してくださるのが祖師方の教えです。
例えば、その1つに「喝」というのがあります。普段ご葬儀の引導などでしか聞くことはないかもしれませんが、元来、後進を導くために吐き与えるのが、この「喝」です。
はじめて喝を吐き放ったのは、馬祖道一(ばそどういつ)禅師だと言われています。その弟子の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師は後に述懐しています。「昔、馬祖和尚に一喝せられて、三日間何も聞こえなかった、それほどすさまじい一喝であった」と。この馬祖禅師の強烈な一喝が、百丈懐海禅師、黄檗希運(おうばくきうん)禅師を経て宗祖臨済義玄(りんざいぎげん)禅師に至ります。
広辞苑には『大声を出すこと、大声でBリ渝ること』とあります。しかし、臨済禅師に至るまでの間に大声を出して叱ることから「いま・ここ」へと引き戻すための、いわば禅の教えとしての『喝』へと昇華しました。
実際、宗祖の言行が記された語録-『臨済録』を開けば何度も目にするのが『喝』です。弟子が教えを請えば「喝」。もたもたしていたら「喝」。四六時中「喝」「喝」「喝」と弟子を「いま・ここ」へ導いています。
本山妙心寺で明治に管長を勤められた蘆匡道(あしきょうどう)老師という方がいます。老師は、印可(いんか)を頂く、つまりお悟りを開かれるより前、師匠を亡くしてしまったことから大阪のお寺で住職を勤めることになりました。ある日、檀家の若い娘さんが亡くなり葬儀で導師を勤めることになりました。元来の真面目誠実な性分から几帳面に作法に従い、丁寧にお勤めし引導を渡して一喝を吐く。いつも通りの葬儀が営まれました。後日、御礼方々寺へ出掛けた施主は素朴な質問をしました。「ご葬儀の『喝』には、どういった意味があるのでしょうか」と。悟っていなかった老師は答えに窮してしまいますが、元来の真面目誠実さから取り繕いもせず考え込んでしまいました。すると、施主は未熟な坊主に送られた娘を不憫に思い強く罵倒しました。老師は自分の修行が足らないことを深く反省し修行をやり直すことにしました。といっても、既に住職ですから寺をほっぽり出すわけにはいきません。毎朝というよりは、ほぼ夜中に目を覚まして大阪から京都の修行道場へ通うという生活を休むことなく続けました。14年後、ついに悟りを開かれ印可を許された老師は、施主に喝の意味を説くことができました。施主は涙を流しながら喜び、以降は老師に篤く信奉して止まなかったといわれています。
喝を吐いたのは老師ですが、施主の素朴な疑問が老師にとっての一喝となり「いま・ここ」へ引き戻される切っ掛けとなったのです。
臨済禅師は、四(し)喝(かつ)と言って、『喝』に4つの意味を説かれました。その1つに「在る時の一喝は一喝の用(ゆう)を作さず」とあります。山田無文老師は「これがもっともすぐれた一喝である」、伊藤古鑑師は「説明できるものではない」と説明します。あらゆる「喝」を超越し、「喝」の形式にとらわれない「喝」と言えます。
円覚寺派管長の横田南嶺老師は、お師匠様から「けっして無闇に一喝をするべきではない」、「一喝をするのであれば、まず自らに一喝をせよ」
と戒められたそうです。自らに一喝し、自らは「いま・ここ」に相応しいか。そうやって自らに一喝を繰り返し自己を観るという深みのある言葉だと思います。
「いま・ここ」を生きる私たちに大切なのは、過去に後悔したりしがみついたり、未来に期待を寄せたり諦めたりせずに「いま・ここ」に向き合うのに相応しいのだろうかと自問することです。自らに「喝」を吐きながら自己を観ることが「佳き1年」の実現になるのでしょう。
新年を迎える私たちが念じて祈るのは、とにかく佳き1年が過ごせることではないでしょうか。しかし、念じ祈るだけでは中々「佳き1年」が実現しないというのが世の常です。
谷川俊太郎さんは自身の『生きる』という詩を題材にした同名写真集の後書きに次のように記しています。
「過去を生きることも、未来を生きることも実際にはできません。現実に私たちが生きるのはいつも『いま・ここ』です。(略)『いま』というこの一瞬はあっという間に過ぎ去りますが、そこには私たちの過去もそして未来もひそんでいるのだと私は感じています。だから『いま』という時は速いだけでなく、限りなく深い」
「いま・ここ」を生きる私たちが大切にすべきことは「いま・ここ」とどのように向き合うのかということに尽きます。向き合い方に応じて過去の出来事が覆ったり未来を制御できたりするわけではありませんが、過去未来に対する見方が変わることは間々あります。言い換えれば、「いま・ここ」と向き合う自己を観るという奧深さがあるのです。上手くいけば、善(良・好)き1年は適わずとも佳き(調った)1年にすることは可能かもしれません。
禅の世界では己事究明(こじきゅうめい)がこれに当てはまります。祖師方は、己事究明を通じて「いま・ここ」と向き合うことの大切さを説かれました。過去や未来を主眼として説かれる教えは恐らく見当たりません。たとえ過去を持ちだし、未来に言及しても「いま・ここ」あっての過去未来です。寝ぼける私たちを「いま・ここ」に引き戻してくださるのが祖師方の教えです。
例えば、その1つに「喝」というのがあります。普段ご葬儀の引導などでしか聞くことはないかもしれませんが、元来、後進を導くために吐き与えるのが、この「喝」です。
はじめて喝を吐き放ったのは、馬祖道一(ばそどういつ)禅師だと言われています。その弟子の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師は後に述懐しています。「昔、馬祖和尚に一喝せられて、三日間何も聞こえなかった、それほどすさまじい一喝であった」と。この馬祖禅師の強烈な一喝が、百丈懐海禅師、黄檗希運(おうばくきうん)禅師を経て宗祖臨済義玄(りんざいぎげん)禅師に至ります。
広辞苑には『大声を出すこと、大声でBリ渝ること』とあります。しかし、臨済禅師に至るまでの間に大声を出して叱ることから「いま・ここ」へと引き戻すための、いわば禅の教えとしての『喝』へと昇華しました。
実際、宗祖の言行が記された語録-『臨済録』を開けば何度も目にするのが『喝』です。弟子が教えを請えば「喝」。もたもたしていたら「喝」。四六時中「喝」「喝」「喝」と弟子を「いま・ここ」へ導いています。
本山妙心寺で明治に管長を勤められた蘆匡道(あしきょうどう)老師という方がいます。老師は、印可(いんか)を頂く、つまりお悟りを開かれるより前、師匠を亡くしてしまったことから大阪のお寺で住職を勤めることになりました。ある日、檀家の若い娘さんが亡くなり葬儀で導師を勤めることになりました。元来の真面目誠実な性分から几帳面に作法に従い、丁寧にお勤めし引導を渡して一喝を吐く。いつも通りの葬儀が営まれました。後日、御礼方々寺へ出掛けた施主は素朴な質問をしました。「ご葬儀の『喝』には、どういった意味があるのでしょうか」と。悟っていなかった老師は答えに窮してしまいますが、元来の真面目誠実さから取り繕いもせず考え込んでしまいました。すると、施主は未熟な坊主に送られた娘を不憫に思い強く罵倒しました。老師は自分の修行が足らないことを深く反省し修行をやり直すことにしました。といっても、既に住職ですから寺をほっぽり出すわけにはいきません。毎朝というよりは、ほぼ夜中に目を覚まして大阪から京都の修行道場へ通うという生活を休むことなく続けました。14年後、ついに悟りを開かれ印可を許された老師は、施主に喝の意味を説くことができました。施主は涙を流しながら喜び、以降は老師に篤く信奉して止まなかったといわれています。
喝を吐いたのは老師ですが、施主の素朴な疑問が老師にとっての一喝となり「いま・ここ」へ引き戻される切っ掛けとなったのです。
臨済禅師は、四(し)喝(かつ)と言って、『喝』に4つの意味を説かれました。その1つに「在る時の一喝は一喝の用(ゆう)を作さず」とあります。山田無文老師は「これがもっともすぐれた一喝である」、伊藤古鑑師は「説明できるものではない」と説明します。あらゆる「喝」を超越し、「喝」の形式にとらわれない「喝」と言えます。
円覚寺派管長の横田南嶺老師は、お師匠様から「けっして無闇に一喝をするべきではない」、「一喝をするのであれば、まず自らに一喝をせよ」
と戒められたそうです。自らに一喝し、自らは「いま・ここ」に相応しいか。そうやって自らに一喝を繰り返し自己を観るという深みのある言葉だと思います。
「いま・ここ」を生きる私たちに大切なのは、過去に後悔したりしがみついたり、未来に期待を寄せたり諦めたりせずに「いま・ここ」に向き合うのに相応しいのだろうかと自問することです。自らに「喝」を吐きながら自己を観ることが「佳き1年」の実現になるのでしょう。