御教の橋は 河を渡る わたし場なり
春のお彼岸を迎えました。三寒四温の只中で桜が開花し、春爛漫の中日法要を自坊も営むことができました。ただ、ご参詣いただいた方々が口々に「コロナさえなければ完璧なんだけどね」とお話しされていたことが印象的でした。
彼岸とは「かの岸」と言って、臨済宗では悟りの境地を表しています。迷いや煩悩のなかで暮らす現在の世界である此岸(こちら岸)から仏道修行をして彼岸に渡ろうとつとめ励むことが勧められます。
日本では、彼岸として春分の日と秋分の日をそれぞれ中日とした一週間が設定され、仏道修行に励み先祖供養を修する期間にあてられています。
彼岸についてはお釈迦様が説かれました。インド人のお釈迦様にとっての河はガンジス川です。
お釈迦様は80歳を迎えられて、長く滞在された霊鷲山を出られて、旅に出る決意をされました。パータリ村(この当時はガンジス河岸の船着場にすぎなかったが、のちに1000年以上もインド全体の首都となって繁栄した)からガンジス河を渡ることになります。このことが『遊行経』に以下の通りに仔細に書かれています
さて、世尊(お釈迦様)は巴陵弗(パータリ村)の町を出てから河のほとりへと至った。岸辺には人が大勢おり、なかには船に乗って渡るものもおり、大きな筏に乗るものもおり、小さな筏に乗って渡るものもいた。
そのとき、世尊は僧衆たちと、あたかも力士が腕を屈伸するほどの瞬間に、直ちにむこう岸へと渡った。世尊は、このことの意義を観察して、偈頌を説いた。
御仏は 海ゆく船の 指南人
御教の橋は 河を渡る わたし場なり
大いなる車乗 導きの乗り物は
神々と人びとをすべて渡したもう
自らも結ぼれ(煩悩)を解き
此岸を渡りて 聖なる世界へ昇りゆき
弟子どももみな
束縛とけて 涅槃を得しむ
「聖なる世界に昇りゆき」などと現実離れした言葉が並びますが、噛み砕いていくと私たちの心模様を表した言葉だとも受け取ることができます。
煩悩がほどかれた時に此岸から彼岸に渡ることができると書いてあります。「ほどく」という言葉から想像することには、自らが勝手に定めた常識だったり他者と比べて不安に思うことが崩れ去って、ものの見方が一変することだと思いました。彼岸に渡るという比喩は、ものの見え方が正反対になるということを表しているのかもしれません。
8歳になった娘がようやく泳げるようになりました。
早い子は2歳ぐらいには泳げるようなっていて、親としてずっと焦っていました。幼い頃から顔を水につけることもできずに嫌がる娘をプールに無理やり連れ込んでも泣くばかりで練習までたどり着くことはできませんでした。
自分が泳げるようになった経緯を思い出しても記憶がなく、いやがらずに泳げたのだと思います。そんな自分には打開策が思い浮かびません。プールサイドで目を真っ赤にしてうずくまる娘を見て、「みんな泳げるようになっているのに」「来月から小学校なのに泳げないのは可哀想」などと思い悩んでいました。
そんな娘が、今年に入ってから急に水への恐怖心を無くして顔を水につけられるようになりました。そのままプールへの関心を示して少しずつ泳げるようなり、これからはスイミングスクールに通いたいと言い出しています。
周りと比べてしまう心や、「早く泳げるようにしてあげなきゃ」などという勝手に私が作り出したルールは、良いことを何も生み出しませんでした。身体と心の成長で順繰りにできるようになることを待てば、娘に悲しい思いをさせることもなかったし、私も焦って悩むことなどありませんでした。私は自分の常識で自らの心を縛り上げ、娘の心まで縛ってしまっていました。けれど、成長とともに水への恐怖心を取り除いた娘のおかげで、心がほどけて見方を一変させることができました。
ずっと彼岸の境地で生き続けることは難しいものですし、ある意味で超人的なことのようにも思えます。自分がおこなっていることや思い描くことを点検し
続けて、決めつけることなくこだわりのない心を保つようにすることが大事なのだと思います。
ちょうど三寒四温の最中で温度差に常に気をつけて身体を調えて、自らの心に向き合っていきたいものです。