「我慢を楽しみに変えて」
建福寺 副住職 加賀宗孝
新型コロナウィルスが猛威を振るい度重なる緊急事態宣言と外出自粛要請が出され、「今は我慢」というフレーズがテレビなどのメディアだけではなく、私たちも違和感なく合言葉のように使うようになってきました。
そんな中、ある御法要に来られたお爺さんがお話の中で「我慢にも限度があるよ」と言われたのには思わず笑ってしまいました。
後になって考えてみるとコロナ過になる前から私たちは「してはいけないこと」や「しなければならないこと」を我慢できずに失敗して「あの時に我慢しておけば」と頭を抱えてしまう事が少なくありません。一体どうしてでしょうか。
我慢というと一般的には「忍耐」や「辛抱」という意味で使われることが多いですが、仏教で我慢というと「私は〇〇しているのに」「あの人は〇〇だから」と自分と他人を比較して自分を高く、他人を下に見たり、「私はこれだけ〇〇しているのだから」と見返りを求める驕りの心として七慢という心を苦しめる煩悩の一つとされています。
最初は目標に向かって色々な欲を忍耐という意味で我慢していても、それを続ける内にいつの間にか自分と他人を比較する驕りの我慢に置き換わってしまって自分を上に置いて他人に高圧的な態度を取ってしまったり、自分の行いに特別な見返りを求めてしまうと周囲との関係がギクシャクしてしまいますし、特別な見返りもありませんから残るのは自分の居心地の悪さと心の苦しみ。ましてや人の欲にキリはありませんから欲に我慢の蓋をしてみたところで火に油を注ぐのと同じで苦しみは増すばかりです。
我慢が続かないというのは忍耐の我慢がいつの間にか驕りの我慢にすり替わって自分で自分の心を苦しめてしまっているからではないでしょうか。
だからと言って苦しみに耐え忍ぶ我慢ばかりして過ごすのは余りにも過酷で続けられる気がしません。
観音経というお経に「甘露法雨」という一節があります。仏の教えを甘露という神々の甘い蜜の飲み物に例えて、それを観音様が雨のように全てに降り注いでくれて煩悩の炎を消して癒しを与えてくれるというものですが、これは上を向いて口を開けて待っていればいずれ甘露が降ってくるというものではありません。
私たちは日常の苦しみの中でささやかな楽しみや喜びを見出した時、心が満たされ安らかになることがあります。その心満たしてくれるささやかな物が甘露であり、それは日常に溢れています。ささやかでもそれを見落とさず気づいていく事で耐え忍ぶ我慢を楽しみや喜びに変えて過ごせます。そこに気づく自分の心こそが甘露の雨を降らせる観音様なのです。
これは私の耐え忍ぶ我慢がささやかな楽しみに変わったお話です。
その楽しみに気づいたのは私が修行道場から自分のお寺に戻ってきた二十代の頃。今もそうですがこの時期は境内に生い茂る草刈りに追われる毎日。私はそれが嫌でたまりませんでした。
何故なら同世代の友人たちが事ある毎に遊びに行ったりしているのに私は毎日泥と汗にまみれて特段褒められもしない。
初めの内は「これも和尚さんの務め」と忍耐の我慢をしていたと思うのですが、いつの間にか毎日草刈りをしている自分を高く、遊びに出かける友人たちを下に見る驕りの我慢になっていて、稀に友人達と会っても刺々しい態度を取っていたように思います。
そんなある日、いつものように草刈りの後片付けをしていた夕暮れ時にどこからともなく少し甘いような良い香りが風に乗って運ばれてきます。
その良い香りがどこから来るのか風下から風上へ香りを辿っていくと私が草を刈って整然とした土手から漂っていました。
その香りと光景に私は妙に嬉しくなって体がクタクタに疲れていたのも忘れて鼻歌交じりで後片付け終えたのを今でも覚えています。
後であの良い香りの正体が気になって調べてみた所、どうやら刈った草が発酵する過程で発生する香りらしく、気温と湿度、地表の温度など複雑な条件が揃わないと発生しないようで一年に何度かしか嗅げませんが、この時期の草刈りの楽しみの一つです。
その他にもこの時期には水を張った田んぼのカエルの合唱、時折お檀家さんから頂ける差し入れ、もう少し過ぎると茂みや庭木に羽化しようと懸命な蝉の姿も見つけることができます。どれもささやかで小さなことですが、その度に「おお~」という気持ちになって我慢が楽しみや喜びに変わって増えていきました。
当時も今もこの時期に草刈りをしている事に変わりはありませんが、耐え忍ぶ我慢していた草刈りがささやかな楽しみの甘露を見出す度に楽しみに大きく変わっていったのです。
現在のコロナ過の中では思い通りにいかない耐え忍ぶ我慢が続きます。しかし、その日常にはささやかでも楽しみの甘露が溢れています。それを見落とさないように自分の心の観音様に気を付けながら我慢を楽しみに変えてコロナ過を共に乗り越えていきましょう。