「縁にしたがう」
大阪府・永元寺住職 池田織隆
コロナ禍で迎える二度目の元日となりました。今年こそ穏かに暮らしたい、と願いつつも、目に見えない感染症や各地で起こる自然災害を避けて通ることはできません。ただ無事を祈り、手を合わせるばかりです。
さて、禅宗において「無事」とは、造り事が無い、計り事が無い、安らかな心境をいいます。あれやこれやといった余計な事に惑わされない、本来のあり方に立ち返った仏さまのような心を表わしているのです。
以前の自粛期間中、私は子供たちと約束をしていた動物園に行けず、ステイホームしていました。せめて代わりになればと思い、図鑑をいくつか読み聞かせていました。
たとえば、「チーターは、陸上動物で最も速い時速100キロ以上で走る。爪は大地をとらえるスパイクのようになっていて、体重が軽くしなやかな体つきをしている。長い尻尾は振り子の役割をしており、早いスピードを保ったまま方向転換できる。しかし、数百メートルですぐに疲れて失速してしまう。また、顎の力が弱いため、仕留めた獲物を他のライバルに横取りされてしまうことも多い」と書かれていました。チーター最大の強みである速さは、同時に大きな弱点も生み出しているのです。
他にも、「コアラは、オーストラリアに自生するユーカリを餌にして、一日に20時間も木の上で寝て過ごす。ユーカリには強い毒性があり、腸内の微生物で分解し解毒するためにずっと寝ている。コアラの赤ちゃんは微生物をもっていないため、お母さんの糞を食べて慣らしていく」とあり、意外な生態を知ることができました。寝てばかりいて楽そうに見えますが、ずっと病床に伏しているのと同じなのかもしれません。
チーターもコアラもそれぞれ不利な条件を抱えていることが分かります。しかしながら、どんな生き物も自分の特性を生かして、与えられた環境で精一杯生き残ってきたのです。禅宗では、これを「随縁」(いただいた縁にしたがう)といいます。縁は決して思い通りにはなりませんが、ずんぐりむっくりのコアラが自分を悲観したり、ましてやチーターのことをうらやんだりはしません。ともすれば私たちは、今いる状況や生き方をあれやこれやと考え、道に迷ってしまいます。しかしながら、他所を見ても自分自身の安らぎはありません。
それぞれがいただいた縁にしたがって生きていく中に、無事の心境が生まれるのではないでしょうか。大変な時世だからこそ、自分自身の縁をしずかに見つめ直したいものです。
皆様の一年のご無事を心より祈念申し上げます。