東京禅センター

施餓鬼

七月の東京盆の時期に併せて、多くの臨済宗寺院では施餓鬼会法要が営まれ、近隣の寺院から僧侶が集まり盛大に執り行われます。読経中に施餓鬼棚に進み、水と洗米(水で綺麗に洗った米)をお供えする施餓鬼法要は、お釈迦様の弟子のひとり阿難尊者の逸話に由来し『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』に掲載されています。

 

 ある日、阿難尊者の前に餓鬼が現われ、「私のような餓鬼すべてに施すことができなければ三日以内にお前は死に、我々のような醜い餓鬼となるだろう」と告げました。餓鬼とは仏教の世界観である六道のひとつ餓鬼道に生まれた者です、食べ物や飲み物は口元で燃えてしまい、常に飢えと乾きに苦しんでいるとされています。阿難尊者は出家者ですから、金品や食べ物の蓄えがありません。困り果ててお釈迦様に相談すると、できうるだけの食べ物と飲み物のお供えをして、一生懸命お経をよみなさい。必ずや供物は無量に増えて全ての餓鬼に施しをすることができるであろう」と諭されます。その通りに阿難尊者が実行すると、お釈迦様のご助言の通りになり餓鬼にならずに済みました。

 

  餓鬼の風貌や供物が無量に増える逸話など、現実から遠く離れたファンタジーのように思えてしまいます。しかしお釈迦様は二五〇〇年変わらない人間性を明らかにして、私たちに心を修める方法を説かれているのです。餓鬼とは現状に満足せずに必要以上に欲を満たそうと生きる私たちの心そのものを指し、供物が無量に増える逸話は、少しの施しであっても真心を込めたものであるならば、多くの人々がもつ餓鬼の心に届くことを意味していると思われます。

 

 暑くなったある日、浅草から東武伊勢崎線に乗って法事に出掛けました。 

 北千住駅を過ぎた頃、読んでいた本から目を離し幾分空いた車内を見渡すと、私と同世代の夫婦と子供の姿がありました。二歳位の男の子をベビーカーに乗せ、母親の胸元には抱っこ紐の中で寝ている赤ちゃんの顔が見えます。「東武動物公園にでも行くのかな?」と思いながら、読んでいた本に視線を戻した数分後、突然子供の泣き声が車内に響き渡りました。あのベビーカーの男の子でした。

 見ると、マグカップが床に落ちています。運悪く蓋が外れて飲物がこぼれていました。両親が慌てて床を拭こうとしますが、母親は赤ちゃんを抱っこしていて何も出来ず、父親は肩から掛けたバッグの中から拭く物を見つけ出そうと慌てていました。私は反射的に頭陀袋の中からティッシュを見つけて差し出そうとすると、予想もしない光景を目の当たりにしました。

 家族の周りに座っていた様々な人から、次々とティッシュやタオル等が差し出されたのです。

 こぼれた飲物は大した量ではありません。一袋のティッシュでも足りたことでしょう。

 しかし、ひとりひとりに丁寧に頭を下げながら父親は「ありがとうございます」とお礼を言って差し出された全てのティッシュやタオルを受け取りました。そして父親が床を綺麗に拭きあげた頃には男の子も泣きやんで、車内は穏やかなほっこりとした空気に包まれました。

 その時、私は忘れていた大切な何かを見つけた気がしました。差し出したティッシュを、「ありがとうございます」と受け取ってもらいましたが、思わずこちらも「ありがとうございます」と言いたくなるような心持ちがしたのでした。

 見ず知らずの人たちに囲まれて電車やバスに乗っていると、「俺が」「私が」という競争心のような卑しい心が湧いてきます。残念ながら私もそう思うことがよくあります。中には、心の中だけでなく行動に出してしまう人もいるものです。「自分ひとりで生きている」という勘違いに満ちた、現代社会の縮図が車内にあるようにも思えます。嫌だけれど、電車やバスでは仕方の無い事だと、私も諦めてしまっていました。

 しかしこの時は違いました。偶然乗り合わせただけで、お互い見ず知らず同士でしたが、困っている親子の姿を見て咄嗟に多くの人がティッシュを差し出したのです。酔っぱらった人がビールを床にこぼしたり、高校生がふざけ合ってマクドナルドの飲物を床にこぼしても、車内のマナーに目をひそめるだけで、逆に怒鳴りつける人がいても不思議ではありません。

 けれど今回は、不慣れながらも一生懸命に育児に取り組む若い夫婦が困っている姿を見て、周りの誰もが「なんとかしてあげたい」と心の底から思ったのでしょう。その真心でティッシュやタオルが四方八方から差し出されたのです。私もそんな真心で差し出したティッシュを、真心で受け取ってもらえました。私が見つけた「忘れていた大切な何か」は、この「真心」であったと思います。

 

 少しばかりの気遣いや思わず差し向けた笑顔、感謝の言葉ひとつが、必要以上に欲を満たそうとする餓鬼の心に届き、温かい真心に気づくことができ、これこそファンタジーのような施餓鬼の逸話の奥にある優しい教えだろうと思うのです。

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