心は万境に随って転ず、転ずる処実に能く幽なり
心は万境に随って転ず、転ずる処実に能く幽なり
流れに随って性を認得せば、喜も無く亦憂も無し
猛暑の夏から、秋が深まるまであっという間であったように思います。気がつけば11月に入りテレビでは紅葉や初雪のニュースを見かけます。東京では公共空間のそこここに空調が整備されているためか季節の移ろいを感じ辛くなったような気がいたします。急な天気や温度の変化に身も心も対応できない時が多々あり、空調の心地よさに感謝する反面、対応が鈍くなってしまった心身の行く末を案じています。
さて表題の句は『伝灯録』に掲載され、摩拏羅尊者の偈として紹介されています。
心とは私たちのこころのことを指し、万境とは私たちを取り巻く全ての環境を意味します。私たちが人生を送る中では「こうなるはずだ」「こうなればよい」と願う展開が必ずしも訪れるとは限りません。
しかし生まれながらにして我々が具える仏心はとても柔和(やわらかくおだやか)であるがゆえ、 どのような状況に置かれたとしてもしなやかに対応することができます。その様子は「幽(言葉では言い表せないほど見事なこと)」ということです。
けれど自らのこころを振り返ってみると、理想通りにならないものです。なぜでしょうか?
家族や恋人に会って嬉しくてずっとこの時間が続けば良いと願う、大切なひとを亡くした事実を受け入れることができずに悲しみに暮れる、関わりたくないと感じていた人と会わなくてはならず、その予定のことばかり気にして何も手につかないなど、万境の只中で振り回されるうち、心地よいことを求めて続けていると私たちのこころはしなやかさを失ってしまいます。
しなやかさを失ったこころでは、大きな石があちらこちらにぶつかって山肌を壊しながら転げ落ちるように、自らもまた周りの人々も傷つけながら人生を送ることになってしまいます。そうではなく水が山肌を流れるときに樹木を避け、その根を乗り越えるように、自他ともに傷つけることなく時の流れの中で、万境に対応できるこころを具えることが肝要です。
それでは、どのようなこころの修行をしたらしなやかさを取り戻すことができるでしょうか?
後段の「性」とは、私たちの持って生まれた心身のことを意味しています。「認」とは確かにそうであると受け入れること、「得」とは悟ること・気づくことを指します。ですから「流れに随って性を認得せば」とは、時の流れに随って自らを受け入れることです。自らのこころで創る「こうなればよい」という理想と、持って生まれた心身とがギャップを生み、それを原因として悩み悲しみ、結果としてしなやかさを失ってしまうのです。修行を通して何かを身につけるのではなく、理想やプライドを捨て去ることを修行の旨とすることが肝要です。
曹洞宗の開祖 道元禅師に次の言葉があります。
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。
坐禅や作務でひとつのことに没入し取り組むことで、余計なプライドや思い描いた理想をひととき忘れることができれば、段々としなやかなこころを取り戻すことができるのです。
「喜も無く亦憂も無し」とは、喜びもせず悲しくもならないという意味ではありません。ものごとをありのままに受け入れ、それでいて喜びや悲しみをいつまでも引きずらないということです。
突然に奥様を亡くされた70代の男性のお檀家さんが、毎月欠かさずに墓参にみえます。墓参中に雨が降り出したとき、寺の玄関先でお茶を飲みながら次のようにお話しくださいました。
花を用意して電車に乗って墓参をして、浅草を歩き浅草寺にお参りして、電車に乗って帰宅すると仏壇にお土産をお供えして自分も同じものを食べることが最近の習慣になりました。家内を亡くした当初は、突然訪れた人生ではじめての一人暮らしに戸惑い、うつむき悲しみを紛らわしながら暮らしていました。けれど、墓参りの準備からお土産を食べきるまでの習慣がいろいろなことを私にもたらしてくれました。元気に墓参りにいけるように規則正しい生活を心がける前向きな気持ちと、家内との新しい関係です。生前の家内を思い出しては悲しみに暮れていたときと違い、お寺に伺うことで家内と新しい思い出を作っているように思えて、毎日を大切に暮らすことができています。いままで墓参りや仏壇のことは家内に任せきりにしてきました。けれど墓参りのおかげで亡くした家内との新しい関係を築くことができたように思います。墓参とは長い歴史のなかで培われてきた心を前向きにする術(すべ)なのだと実感できました。本当にありがとうございます。
長い人生を送る中では「こうなるはずだ」「こうなればよい」と思う展開が訪れるとは限りません。なるべく不安や後悔を感じることなく、たくさんの人の気持ちに寄り添えるように、しなやかな心を大切にしていきたいものです。
もうすぐ冬が訪れます。空調を整えることも大切ですが、季節の移ろいに心身を合わせることも時には大事かもしれません。